北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(82) 道因法師

82 道因法師


思ひわびさても命はあるものを憂きに堪へぬは涙なりけり


〔評釈〕長い間恋人のつれないのを歎いて、消え入るやうな思ひをするが、それでも命だけは長らへてゐる。それだのに涙ばかりは堪へられないと見えて、乾く間もなく流れ落ちて来る。

といふ弱い心を持つた男の恋の未練をはかなく哀れに歌つたものである。命は堪へても涙は堪へぬといつたもので、調子は相当に整つてゐるが、強さが足りないのが惜しい。これだけの心持ちがあれば、もつと読者の胸に迫る筈だのに。とにかく恋の悲しみの哀れさはうかがはれる。これは千載集恋三に「題しらず」として出てゐる。


〔句意〕▼思ひわび=思ひの極り果てた事。即ち恋の物思ひに心を苦しめる事。▼さても=さありてもの約で俗にそれでもといふ意。▼憂きに堪へぬは=辛さに堪へられぬはの意。「絶え」の意ではない。


〔作者伝〕

俗名敦頼、内大臣高藤の裔で、治部丞清孝の子である。崇徳帝に仕へ従五位上右馬助を勤めたが後、出家して道因と改めた。非常に歌が好きで、七十歳頃迄、毎月住吉に詣で秀歌を得ん事を祈つたと云ふ。歌合の時判者清輔が道因の歌を負けとしたので悲傷して、わざわざ判者の家を訪ねて泣いて恨んだといふ。俊成が千載集を撰んだ時彼の歌を十八首入れたが、道因が感謝した夢を見て更に二首を加へ二十首入れたといふ。


〔補記〕

作者伝は、粉本である佐佐木信綱『百人一首講義』や尾崎雅嘉『百人一首一夕話』を下敷きにしたものですが、いくつか修正したところがあります。なお、藤原高藤の末裔ですから、道因は藤原氏で、在俗時代は藤原敦頼だったわけであります。


まず、「治部丞清孝」の部分は、昭和5年版では「治部清孝」とあったので、「丞」を補いました。「丞」は治部省の三等官で「じょう」と読むものです。


次に、道因の在俗時の最終官歴ですが、「右馬助」については、注釈書によっては「左馬助」となっていたりします。『和歌大辞典』の「道因」の項(島津忠夫執筆)では「左馬助」ですが、角川ソフィア文庫『新版百人一首』(島津忠夫訳注)では「右馬助」とあって、混迷しているようですから、そのままにいたしました。信綱は「左馬助」、雅嘉は「右馬助」で、粉本でもばらばらです。


さらに、「彼の歌を十八首入れた」の部分は、昭和5年版では「彼の歌を十八首をいれた」と「を」が重複していましたので、後の方を削りました。粉本を抄出する際に不手際があったように見えます。


〔蛇足〕

白秋の評釈を見ると、「弱い心を持つた男の恋の未練をはかなく哀れに歌つたもの」という一節が非常に目立ちます。否定的なのかと思うと、その後に「調子は相当に整つてゐるが、強さが足りないのが惜しい。これだけの心持ちがあれば、もつと読者の胸に迫る筈」と、まるで道因の師匠か、あるいは弟子のような悔しがり方で、歌の内容には満足しているものの、もうちょっと男らしい歌だとよかったかのような言い方で、これまでの評釈のあり方からすると、相当踏み込んでいるのが、興味深いと思います。実はとても納得の一首だったのかもしれません。密通の罪を問われたときの内面に、かなり迫るものがあったと推定できます。ただ、「男の恋の未練」と白秋は決め付けていますが、平安時代の歌壇に属していた道因の作る歌ですから、詠作主体を男に限ることもないと思います。女性の歌ならめめしくていい、というような発想は近ごろは禁句ですが、現代の男性ならこれはこれで充分共感を得ることでしょう。


   思ひわび かくも道因 めめしくて 憂きに堪へぬは 白秋なりけり(粗忽)


〔蛇足の蛇足〕

『千載集』巻第十三・恋三 817番 

      題知らず        道因法師

思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり


道因の歌を改めて眺めて、いい歌だなあなんて思ってしまいました。お坊さんの歌でありますが、女性の歌でも通じまして、別に男性作者の歌であると考える必要もないのでありましょう。道因法師の逸話というのは、『無名抄』がまとめておりまして、白秋の粉本はどれもそれを引き写していますから、話は重複いたしますが一番面白いのは死後の話であります。道因法師がお年を召してからも和歌への熱中ぶりは群を抜いていたというので、『千載集』に俊成が18首入れてあげたら、夢に現れて感涙にむせびながら道因法師がお礼を言ったというので、俊成さんはもう2首増やしたんだそうです。それにしても、この歌は、やはり動詞が要注意でありまして、「わび」「堪へ」が大問題であります。それから、三句目の「あるものを」は、『百人一首』第65の相模の「恨みわび」の歌でも出てきましたが、この道因の歌を考えてみても、「ある」は存在するという意味であることは間違いありません。たぶん相模の歌で滑っている注釈は、『百人一首』全体すら検討していないことがばれているわけです。


さて、「思ひわぶ」という動詞を考えるのが筋でありまして、「思い嘆く」とか「弱り切る」とか、ともかく現代語の「詫びる」ではなくて、精神的に参っていることを意味している動詞と言ってよいでしょう。現代語の「わびる」は誰かにごめんなさいと謝罪することを意味する動詞ですが、古典では失恋とか生活苦を嘆く動詞です。その状態でも、命は「堪へ」ているのに、ということで、「あるものを」の「ある」は命が「保たれている・まだ存在している」ことを意味する動詞でありまして、「堪ふる」と置き換えても、解釈は容易なのであります。命は持ちこたえているのに、涙は「堪えぬ」あまりに流れ落ちている、というような対比が眼目なんでしょう。しかし、それだけでは、何だか物足りないわけで、いままで検討してきたことからすると、ここにももうちょっとましな修辞が隠れている可能性があるわけです。「堪へぬ」に「絶えぬ」が掛かってしまうのではないかという説もあるんですが、ハ行とヤ行の下二段動詞の混乱ですから、あんまりよろしくないようであります。


       世の中はかなきを見て

憂けれども 生けるはさても あるものを 死ぬるのみこそ 悲しかりけれ

    (『貫之集』775番)


こんな歌を見付けてしまいまして、どうやらこれがヒントになって出来た歌かも知れません。『貫之集』の巻八にありまして、素性法師がなくなったことを凡河内躬恒と嘆いたあとに出て参りますから、これは「(世の中は)憂けれども、生ける(我ら)はさてもあるものを、死ぬる(素性法師)のみこそ悲しいかりけれ」というような、悲しみの歌なのであります。それを恋の歌に転じたとすれば、なかなかの本歌取りということもできるのであります。紀貫之の歌で対照的な扱いを受けている「命」と「涙」が、もとの歌では「生ける」と「死ぬる」すなわち「生者」と「死者」でありまして、鮮やかな転換が図られているのであります。


つまらない掛詞を紹介するつもりであれこれ考えているうちに、道因の歌に本歌を見付けてしまいました。貫之の歌が本歌だなんて、すごくおしゃれでありまして、これもまた大手柄かも知れません。


思ひわび さても命は あるものを 消ゆる涙は 悲しかりけり(粗忽謹製)

思ひわび さても命は あるものを 乾かぬ袖は 露けかりけり(粗忽謹製)

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