北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(81) 藤原実定
81 後徳大寺左大臣
ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる
〔評釈〕ほととぎすが珍らしく鳴いたので、すぐ空を仰いで声のした方を眺めると、今鳴いたばかりのほととぎすの姿などは何処にも見えないで、ただ有明の月ばかりが白く暁の空に残つて見える。
といふ意で瞬間の実感をそのまま歌つたものである。何となく一読して一種の寂しさが空から涌いて来るやうである。この歌は千載集夏部に「暁聞郭公と云へる心を詠み侍りけるに」と題して出てゐる。が、なかなか興味のある歌である。百人一首雑談には「郭公歌の第一なり」と称へてゐる。
類似歌としては金葉集に、「ほととぎすあかですぎぬる声によりあとなき空を眺めつるかな」といふものもあるが、後徳寺の歌には及ばぬ。
〔句意〕▼鳴きつる方=鳴いた方の意。▼ただ=「のみ」又「ばかり」などの意、有明の月のみ。▼有明の月=あけ方の月で、夜が明けてもまだ空に残つてゐる月、既に前に説明した。
〔作者伝〕
藤原実定の事で、父は大炊御門右大臣公能、母は権中納言俊忠の女である。祖父が徳大寺左大臣実能であつたから後徳大寺と云つた。寿永三年内大臣に、文治二年右大臣に同五年に左大臣に進んだ。其後建久二年出家して如円と改めた。歌が巧みで嘉応二年住吉に於ける歌合に社頭月を題にして、「ふりにけり松ものいはばとひてまし昔もかくやすみの江の月」とよんだ。判者俊成も大いに賞し感服したといふことである。
〔補記〕
白秋の評釈に「百人一首雑談」を引用していますが、この書名について昭和5年版は「百人一雑談」となっていて、「首」が抜けていたので補いました。『百人一首雑談』は元禄5年(1692)に戸田茂睡が書いた注釈書で、実定の「ほととぎす」の歌に関しては、「郭公の歌の第一と云り」「かやうの歌よきに極りたるは、郭公の歌の第一と云にて心得らるべし」と高く評価しています。
作者伝には、今回も問題がたくさんありました。
まず、実定の母に関して「権中納言俊忠の女」とあるところは、昭和5年版では「中納言信忠の女」となっていて、「信」を「俊」に改め、官職についても俊忠の最終官歴に従いました。なお、この誤りは、白秋が粉本とした佐佐木信綱『百人一首講義』や尾崎雅嘉『百人一首一夕話』から引き継いだものですが、近年の注釈書にも散見されるものです。実定の母である俊忠の娘は、豪子という名前も分かっておりますが、藤原俊成の異母姉に当たるので、実定は俊成の甥であり、実定と定家はいとこの関係であったことがわかります。
次に、「出家して如円と改めた」とあるところの「如円」という法名は、昭和5年版では「如園」となっておりましたが、これは旧字の「圓」を「園」と誤植したものかと思われましたので、修正しました。
さらに、「判者俊成も」とある部分は、「判者嘉成も」となっていましたので、誤植を改めました。嘉応2年(1170)の住吉社歌合は、道因法師によって住吉大社に奉納されたもので、判者俊成の判詞が記されたものです。なお、実定の歌と番いになっていたのは俊成自身の歌でしたが、俊成は実定の歌を勝ちと定めています。
〔蛇足〕
白秋の評釈を見ると、「瞬間の実感をそのまま歌つたもの」という表現が目につきます。白秋が引用している『千載集』の詞書には、「暁聞郭公と云へる心を詠み侍りけるに」とありますから、歌合や百首歌の催しに提出するために詠んだ題詠ですから、はたして実感を詠んだ歌と断定してよいのか、やや疑問が浮かびます。もちろん、実生活で体験したある瞬間の面白い体験を、実感を持って歌にしていても不思議はないわけですが、ひょっとすると、「暁聞郭公」という題をもらった時は夏でなく、歌を構想した時間も夜明けでなかったということもあり得るわけです。「暁」から「有明の月」を想起し、そこにホトトギスの声を組み合わせて、実感とは関係なく面白い歌ができてしまう可能性も、ある程度考えておかないといけないのではないでしょうか。
一首詠む 宮廷歌人を ながむれば ただ紙と筆 机上の空言(粗忽)
実定の活躍した時代というのは、平家が次第に勢力をまして、全盛期へと権力を駈け上ってゆく時期でありまして、そのあおりを受けて官位が滞った時期が実定にはあったそうです。そういう時期に、和歌などの諸芸に熱中したらしく、停滞が済んだら、実定はあまり和歌を詠むこともなくなったそうです。ひょっとすると、大臣などにならなければ、定家や家隆をしのぐような歌人として歌壇に君臨していたのかもしれないのであります。それくらい歌が上手くて、白秋も引用しておりますが、「郭公」の歌としてこの『百人一首』に採られた歌は史上最高の評価を受けていたわけです。考えて見ると、長い和歌の歴史の中で、ある歌題で随一の評判を取る事はなかなか難しいことだと思います。
〔蛇足の蛇足〕
『千載集』巻第三・夏 161番
暁聞郭公といへる心を詠み侍りける 後徳大寺左大臣
ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる
上の句は音声を主体としているのであります。そこから視覚に重点が映りまして、「ほととぎす」の姿が確認できない代わりに、有明の月が見えるということなのであります。夏になりまして、特に梅雨時の頃になると、ほととぎすの初声を聞くというのが貴族の間で流行しまして、そのために寝ずに一晩中起きていたりするのであります。
気になるのは、旧暦下旬に空に掛かる有明の月でありまして、これは月の出から月の入りまで、空に掛かる時間の幅がありますから、実際の時刻がどの辺なのか、空は暗いのか、それとも白みかけているのか、ちょっと判然としないのであります。当時の人なら、すっきりとした場面が浮かぶのかも知れませんが、なかなか難しい。それと、「有明の月」という言葉が、四句目と五句目にまたがっておりまして、独特のリズムがあるようです。「ただ残りたる 有明の月」だったら平凡なんですが、うまいのであります。
作者は、藤原実定でありますが、平安時代後半の摂関家の人物は、ものすごい勉強家でありまして、この人も歌にも優れているのです。というよりか、下手な歌人をしのいでいるところがあって、実は天才に近いものがあったのでしょう。いろんな逸話があるわけです。
ホトトギスで思い出しますのは、託卵と言うことですね。ただし、本で読んで知っていると言うだけのことです。ウグイスの巣に、このホトトギスが忍び寄りまして、ウグイスの卵を蹴落とすそうなのです。そこにちゃっかり自分の卵を産み付けまして、ウグイスに育てさせるのだそうです。ホトトギスは、ウグイスよりも一回り体格がいいために、ウグイスの両親は、なんだか妙に育ちすぎの我が子を、せっせと飢えさせないように餌を運ぶそうです。実は、実の子ではなくて、ホトトギスの子供なんでありますが、そうとはなかなか気付かないらしいのです。私は、ホトトギスを実見したことありませんし、その声を聞いたことも実際にはないのであります。野鳥のカセットテープで聞いてはいましたが、さっぱり実感が持てません。育ったところが寒冷地で、大学に行くまでゴキブリを見たことがなかったのです。それと同じで、ホトトギスも知りません。
夏の夜の風景ではありますが、我々がこの歌を評価できるポイントがあるでしょうか?
『千載集』の巻三・夏の歌、161番に入っておりまして、詞書を見ると、題詠なのであります。どんな題かとながめてみますと、「暁聞郭公」とありますから訓読すると「あかつきにホトトギスを聞く」となりまして、待ちに待ったホトトギスの声を、ようやく明け方になって耳にした場面を歌に詠めというお題なのであります。ともかく、そういうタイトルですから、それで仕掛けは分かりました。徹夜してようやく一声耳に出来たよ、やれやれ、という気分を詠むのであります。最初の所で、この歌については聴覚から視覚に転じたうまさを指摘しましたが、お題では聴覚しか求められていない感じなのであります。まあ、そういうことは注釈をした皆さん当然の如くご指摘でありまして、指摘するまでもないことだったようです。
ともかく、夏の短夜にホトトギスの声を聞こうと頑張ったら、夜が明けてしまって、白んだ空に沈む前の有明の月を見付けちゃったわけです。これだけなら、風景を詠み込んだ叙景歌に過ぎないとも言えるんですが、曲者は題の中の「暁」であります。「待つ宵」「別れの暁」が、当時の結婚形態を考えると、非常にドラマチックな場面を演出することは、前にも何度か述べました。そうすると、これはやはり恋の情趣を含む歌でありまして、「お声を一声お聞きしたい」と口説いてみたものの、相手は簾の向こう、奥の間にとうに消え去りまして、もう帰る時刻が来ちゃったというようなことなんですね。小説の一場面を第三者的に描写したような、そんなところでしょうか。つまり、『源氏物語』をはじめとする王朝物語の場面を、和歌で創作したものであります。月は男の比喩になりますので、だとするとホトトギスは人気の女性でありますね。もはや、単純な叙景歌はありえない時代の歌であります。
ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる
(『百人一首』第81番・後徳大寺左大臣)
もう少し、題詠ということを考えてみます。実定は、「暁に郭公を聞く」という出題に対して、上三句で「郭公を聞く」を表現し、下二句で「暁」を表現しようと試みました。「暁」は夜明け前のほの暗い時間ですから、西の空に有明月が見えているという光景です。ホトトギスが一声鳴いて姿を消し、二度と鳴かない静寂の中で、その声のした西方を遠くまで目をやると、今の今まで鑑賞の対象ではなかった有明の月が視野に入って、ようやく認識されたという場面です。「ただ」という副詞は、「ただ~のみ」という呼応をすることがあるので、ここは「ただ有明の月ぞ残れるのみ」と考えると、ホトトギスの不在がはっきりいたします。夏の夜に意中のホトトギスの声を耳にしたものの、後は声を耳に出来ないという空虚感を出して、夏の夜のイベントであった「聞郭公」ということの面白さを表現していると言えましょう。ちょっと蛇足の説明を付けてみた次第です。
事に及ぼうとしたのに、見事に相手に肩透かしを食わされた、というような心理を巧みに込めまして、技あり一本なのであります。『堤中納言物語』というのは短編小説集ですが、その中には、女を訪問したのに期待外れに終わるというような、苦い恋の失敗談があったような気がいたします。そんなことを連想させますので、三十一字によるショートショート、すなわち掌小説でありまして、星新一や阿刀田高、あるいは川端康成なんかの短い小説と同じような味わいです。
『古今集』巻第十一・恋一 469番
題知らず 詠み人知らず
ほととぎす 鳴くや五月の あやめぐさ 菖蒲も知らぬ 恋もするかな
詠み人知らずのこの歌のような心情を背景に置くと、実定の歌は非常に分かりやすいのではないかと思ったりいたします。芽ばえた恋心をどうしたらいいのかと、恋に落ちた男は呆然とするというような恋情を踏まえた上での暁の空に浮かぶ月という光景です。
ほととぎす 鳴くや卯月の ありあけに 月すら知らぬ 恋もするかな(粗忽謹製)
※ 有明月で郭公の初鳴きを聞くなら、四月卯月の下旬ということになるでしょう。気の早い殿方だと考えましょう。「月すら知らぬ」は、「月さえ知らない」という擬人法ではなく、「月をも気に掛けない」と詠作主体が月には関心がないことを言っていると理解していただけますでしょうか。
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