北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(67) 周防内侍
67 周防内侍
春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たん名こそ惜しけれ
〔評釈〕枕になさいと言つては下さいますが、この短い春の夜の、しかもはかない夢ほどのたはぶれ事に、あなたのお肱を手枕にして、立ち甲斐のない浮名の立てられる事は口惜しいことに思ひます。
との意で、内侍が「枕があればよいなあ」といつたのに忠家が「これを枕になさい」と自分の肱を簾の下から差出したので詠んだ歌である。この返歌として忠家は、「契りありて春の夜深き手枕をいかがかひなき夢になすべき」と詠んだのは面白い。当時宮廷生活の自由で優美であつた様が思はれよう。千載集の雑上に出てゐる。忠家は大納言で俊成卿の祖父である。
〔句意〕▼春の夜の夢ばかりなる=短い春の夜の夢ほどなといふ意で少しの時間の事。▼かひなく立たん=俗に甲斐がないといふ意。甲斐のない事を、肱即ちかひなと通せて言つたのである。
〔作者伝〕
周防守平継仲の女で後冷泉院の女官となつて内侍の役をつとめたので周防内侍といつた。後拾遺集に、後冷泉院の崩御をいたく悲しまれ「さみだれにあらぬ今日さへ晴れせぬは空も悲しき事や知るらん」と詠んで歎いたと出てゐる。歌にかけては逸話も多く又書にも見えてゐる。彼の家は冷泉堀川の北西の隅にあつたが久しく残つてゐた事が山家集や今昔物語に見えてゐる。
〔補記〕
人物関係について、致命的な誤りと思われるものが二箇所ありまして、非常に不審です。
評釈の末尾、忠家についての記述で「俊成卿の祖父である」の部分は、昭和5年版では「俊成卿の父である」とありました。藤原俊成の父は、俊忠です。その俊忠の父が忠家なので、忠家は俊成の祖父というのが正しいことになります。なお、この忠家は藤原道長の孫に当たります。系譜としては、道長――長家――忠家――俊忠――俊成――定家――為家となります。この系統の長家以降を「御子左家」と呼びますが、歌道家として重きをなした一族です。
作者伝の中の「後冷泉院の崩御を」の部分は、昭和5年版では「三条院の崩御を」となっていましたが、後拾遺集の巻十・哀傷562番に出て来る周防内侍の歌の詞書を検討すると、これは「三条院」ではなく「後冷泉院」のことと考えられますので、訂正いたしました。詞書には「後三条院位に即かせ給ひての頃、五月雨ひまなく曇りくらし六月一日またかきくらし雨の降り侍りければ、先帝の御事など思ひ出づる事ぞ侍りけん、よめる」とありますので、この先帝は周防内侍が仕えた後冷泉天皇のこととするのがよさそうです。なお、一条天皇(66代)以降の天皇の即位順は、67三条、68後一条、69後朱雀、70後冷泉、71後三条、となっておりまして、72代の天皇が白河天皇です。
〔蛇足〕
『千載集』巻第十六・雑上 961番
二月ばかり月のあかき夜、二条院にて人々あまたゐあかして物語など
し侍りけるに、内侍周防よりふして枕をがなと忍びやかにいふを
聞きて、大納言忠家、これを枕にとて、かひなを御簾の下より差し
入れて侍りければ、詠み侍りける 周防内侍
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ
二句目の「夢ばかりなる」という表現は、「ほんのはかない夢のような」の意なのでしょう。日本語の「夢」はいろんな意味がありまして、いわゆる多義語ですが、ここは夜見る夢のことであり、はかなく、現実感の乏しいものを象徴させたものです。「手枕」は現代語では「てまくら」ですが、古語としては「たまくら」と読みます。読みが相違するばかりか、意味も相違していたようです。現代語では、自分の頭を自分の腕に乗せることを言うのが普通のはずです。周防内侍の歌の「手枕」は、現代では「腕枕」に相当するもので、共寝の相手の頭を自分の腕に乗せてあげる、もしくは乗せてもらうものであったはずなのです。「たまくら」「てまくら」「うでまくら」の問題は、注釈書は論じませんので、思いつきで書いてみましたので、間違っていたらご容赦いただきたいものです。「かひなく」は「何の効果もなく」「つまらなく」ということ。噂になっても、婚姻関係に発展するような深い関係ではなく、ゴシップとして扱われる無意味さを言うかと思います。
ここで取り上げている歌というのは、もちろん和歌と称される、五七五七七、全部でたった三十一音の定型詩なんですけれども、当時は歌われて流行したはずなんですね。出来てすぐにもてはやされた物、後からじわじわ人気の出たものもあるでしょう。歌そのものの完成度が高いものもあるけれども、当時の世相であるとか、歌人自体の人気にも左右されていたと思います。それは、現在の歌謡曲と同じだと思いますが、周防内侍の歌の場合、状況が分からないと、仕込まれている掛詞が分からないと言うことがあります。掛詞を気にしなくても、解釈がすんなりできてしまいまして、それはそれでいい歌なのであります。手枕が、自分のではなくて、誰か異性のしてくれた手枕ということで、二人が関係したことを暗示するんであります。実は掛詞は要らないかも知れない、という点で面白い歌なのかも知れません。
掛詞が分からなくても一首の意味が分かるという点では、道綱の母の「なげきつつ」の歌も全く同じでした。掛詞を目立たなく忍ばせるという利点は、事情を知る人と知らない人とで一首の理解が雲泥の違いを生むということなのかもしれません。
周防内侍の歌は、歌だけ見ておりますと、ばりばりの恋の歌なんですが、実は勅撰集では恋の歌に入っておりません。『千載集』の巻十六・雑歌上というところに入っておりまして、そこには『百人一首』の歌がごろごろしている感じがするんであります。白秋も指摘していますが、周防内侍のこの「春の夜の」という歌は、贈答歌の贈歌でありまして、返歌を返しているのは大納言忠家です。この人は藤原俊成の祖父に当たると言うことですから、『千載集』の撰者である俊成さんとしては、是非とも入れたかった歌なのかも知れません。『百人一首』を選んだ定家も、『千載集』の撰集の手伝いをしたとされていますから、よく知っている先祖にまつわる馴染みの歌であったと言うことかも知れません。
二条院というところで明月の晩に徹夜で話などをしていた時の事だそうですから、平安時代の文学作品に出て来る典型的な状況です。周防内侍が「枕がほしいわ」とつぶやいたら、大納言忠家が「これをどうぞ」と腕を簾の下から差し入れたと言うのであります。だから、「かひなし」のところに、実は「かひな(腕)」が入っているわけで、こう言うのを「物の名」「隠し題」などと言うのであります。掛詞の一種ではありますが、遊びの要素が強いと言うことです。「名こそ惜しけれ」というのは、「評判が残念だ」ということですけれども、いつの時代も風評と言いますか、噂によって傷ついたり、不快な思いをすることはあるわけです。人間関係が壊れるような不倫であったり、本命がいるのに浮気をしたというような軽薄な行動が前提の歌ですから、「かひなく名が立つ」のは困るという歌です。
春の夜の 戯れ程度の 腕枕 かひなく立てる 名ぞ惜しまるる(粗忽改造)
※立てる=「る」は完了の助動詞「り」の連体形。「立ちたる」とほぼ同義。
周防の内侍の歌の「立たむ」の「む」は、婉曲の助動詞の連体形ということになりますが、これは未来の時制を表しておりまして、普通は「~ような」と訳すわけですけれども、いっそ仮定条件にして「もし~たら」と訳した方がいいかもしれないのであります。「つまらなく噂になったら、それは残念だ」ということで、今なら「文春砲を浴びる」ということであります。何年も前の事ですが、ラジオのパーソナリティを務めていた女優の方が文春砲を浴びたことがありまして、その時の放送で出て来た本音が生々しいものでした。たぶん録音によるものではなくて、生放送だったと思います。記事が出て一日も経たないようなすぐの放送の冒頭で、彼女が低い声で「飯がまずい」と漏らしましたが、ここの「かひなく」はそういう飯がまずくなる「メシマズ」の状態を言うのでありましょう。言い換えると、「つまらない」ということで、よろしいでしょうか。
春の夜の うつつに借りし 手枕に かひなく立ちし 名はからかりき(粗忽謹製)
周防内侍の場合は、「うっかり手枕を受け入れたら、つまらない浮名が立ちそうで残念だ」と、軽やかに恋の矢を避けておりますが、避けきれなかった場合には、世間の誹謗中傷の矢の雨に傷だらけになってしまいます。「からかりき」というのは「からし(辛し)」という形容詞の連用形に、過去の助動詞の終止形「き」がついて、これで「精神的にきつかった」という意味になるはずです。白秋も、過去の不倫騒動では傷だらけになっていたことだろうと想像いたします。立ち直るためには、相当な精神力が必要だったでしょうね。
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