北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(66) 大僧正行尊
66 前大僧正行尊
もろ共にあはれと思へ山桜花より外に知る人もなし
〔評釈〕この奥山で思ひもかけず花の咲いてゐるのを見ると、ほんとに友達にでも逢つた様に思へる。わしがおまへを懐しく思ふ様に、お前も亦私を懐しく思つてくれ山桜よ。この山奥に来ては花より外にお互の心もちを知るものは誰一人としてないのである。
といふ意で、青葉の中に見た遅桜を知己に出会つた心地で詠んだ歌である。
花に向つて孤独を同情し、更に自分も孤独の寂寞から花に同情を要求した様、一人旅するものの姿が目に浮ぶ。修業のため山に入る僧の心にもかうした自然人の感情がやはり涌くものと見える。この歌は金葉集雑上に「大峯にて思ひかけず桜の咲きたりけるを見てよめる」と題して出てゐる。大峯へ登山するには春を順の峯入り、秋を逆の峯入りといつた。ここは順の峯入りである。
〔句意〕▼もろともに=相互ひにといふ事。▼あはれ=ああなつかしいの意。哀れの意ではない。▼山桜=もう青葉の頃唯一本遅桜の咲いてゐるのに向つて言ひかけたのである。
〔作者伝〕
小一条院の孫で、参議源基平の子である。十二歳で出家し、後保安四年に延暦寺の座主となり、天治二年大僧正に任ぜられた名僧である。又法力を有し、嘗て後朱雀帝の后の痼疾を法によつて治し、時の帝の腰疾を治め、越後で一女子を蘇生させた等といふ神妙なところがあつたといふ。歌にも書にも秀で彼の書いた仮名手本は後まで残つて賞せられた。保延元年入寂したが、新古今集以下千載集、詞花、金葉等に歌が出てゐる。
〔補記〕
作者伝の冒頭に「小一条院の孫」とありますが、昭和5年版では「少一条院の孫」となっていましたので、単純な誤植と見て「少」を「小」に改めました。
なお、小一条院は、三条天皇の第一皇子敦明親王のことですが、母は皇后・藤原娍子(大納言・藤原済時の女)。尊号は小一条院で、これは「こいちじょういん」と読むのがよさそうです。自ら皇太子の身位を辞退し、その見返りに道長の女寛子を后妃の一人とし、准太上天皇としての待遇を得ました。『源氏物語』の主人公でありました光源氏も、晩年に准太上天皇として待遇されて事になっています。これは、天皇に即位しないで、上皇の待遇を受けることです。
〔蛇足〕
白秋は、和歌の五句目の「知る人」を、「友達」「お互いの心持ちを知るもの」そして「知己」といろいろなことばで表現しておりまして、修行のため山に入る修行者を、一人旅するものと心得て、孤独の寂寞から、山桜を友人のように擬人化した歌だと捉えているようです。友人に再会したような気分でありますから、「あはれ」は「なつかしい」という解釈に落ち着くのであります。和歌の表現に即して、白秋の解釈を抽出すると、次のようになるでしょう。
お前も亦私を懐しく思つてくれ山桜よ。花より外に(お互の心もちを)知るものは誰一人としてない。
では、白秋が粉本とすることの多い佐佐木信綱『百人一首講義』はどうなのかというと、信綱は「深山に、ただひとり咲きてある桜」には友はいないだろうと推測し、「われも又ひとり」「たづきなき」という境遇の作者が、桜をなつかしく感じたとするのであります。和歌に即した訳出を、これについても抽出すると、「この花よりも外にしる人もなければ」「我をば花も、あはれと、思へかし」とありまして、友人がいない同士の連帯感を強調する歌という前提で、あまり言い換えもしないのであります。さすがに白秋は、和歌の表現をそのままにはせずに、読者の為に現代語訳を心掛けたことが分かります。
さらに、信綱が粉本にすることの多い尾崎雅嘉の『百人一首一夕話』はどうなのかと見ると、「ただ独り咲きたる桜なればほかに友もなき様子なり」と桜の孤独を断定しまして、それに対して「我れもまた一人この山へ分け入りて」と、桜と行尊の境遇の類似を指摘しています。雅嘉は、「あはれはああと感ずることばなり」と説明しまして、「汝と我と互に感じ入りて思ひ合ふべき」と出会ったことの感動をあらわすのが「あはれ」だと考えたようです。「なつかしい」とは一言も言っていないのです。この結果、和歌に即した訳は「汝もさやうに(=感じ入りて)思へ山桜よ、この花よりほかに知る人はなし」とありまして、孤独なもの同士の連帯感を強調する点は信綱や白秋と同じです。
なるほど、雅嘉、信綱、白秋の解釈には脈々と受け継がれているものがありまして、桜も孤独なら作者も孤独ということですが、信綱の所から「なつかしい」と「あはれ」を解するようになっています。気になるのは、大峰の桜というのは一本だけなのでしょうか。それからまた、大峰に修行に来た行尊はたった一人なのでしょうか。どこにもそんなふうには状況説明がないような気がするんですが、歌の下の句の「花より外に知る人もなし」とありますので、桜と行尊が一対一で対峙していると言われてしまうと否定するのは困難ですが、本当にそんな意味なんでしょうか? 私はへそ曲がりなので、桜の木は何本あってもいいような気もしますし、修行者も団体でもいいような気もするんですが、どうなんでありましょう。だいたい、「知る人」を「知っている人・知人」と解していいのか、疑問を感じてしまうのであります。
古典の和歌の言葉が、たまたま現代語で理解できるというので、そのまま妄想を膨らませるのは仕方ないと思うんですが、それなら「あはれ」は「哀れ」で構わなくなりまして、互いに孤独なら「可哀想・気の毒」と訳して済ませればいいわけです。ひょっとして、次のような歌の理解で済ませても、現代なら許されてしまいそうですね。もちろん、これは冗談でありまして、行尊の意図するものとは大幅に違うような気がいたします。
ぼつち同士 みじめと認めむ 聖なる夜 満喫以外 寄るところなし(粗忽)
※ぼつち=独りぼっち、から来た略語。「クリボッチ」はクリスマスイブにデートする相手のいない寂しい人のこと。※聖なる夜=クリスマスまたはクリスマスイブ。※満喫=漫画喫茶。漫画やDVD、インターネットなどを個室で楽しむことのできる喫茶店。
〔蛇足の蛇足〕
金葉集』巻第九・雑上 556(510)番
大峰にて思ひがけず桜の花を見てよめる 大僧正行尊
もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
この歌は、たぶん三句切れなんでしょう。それでもって、二句目のところで切れて、三句目が倒置するのでしょうか。倒置しているのを、日本語の普通の順番にすると、「山桜(は)もろともにあはれと思へ。」ということです。擬人法でありまして、行尊さんは、山桜を見てあはれと思ったわけです。この「あはれ」を、「しみじみなつかしい」と諸注釈は訳すようですが、どうも怪しいのでありますね。下の句を見ると、もはや擬人法ではなくて、「花よりほかに知る人もなし」と客観的な覚めた物言いですから、従来の解釈がこぞって滑っている可能性はあるでしょう。行尊さんが修行の途中で詠んだ歌のようでありますが、従来の解釈は下の句までも擬人法として捉え、「花」を二人称のように理解するみたいですね。
ああ、そういう解釈も出来なくはないですけれど、天然のへそ曲がりですから、いろんなことを考えます。もう一度問いますが、「山桜」は単数でしょうか?複数でしょうか?
この作者の行尊という方は、どうやら、ものすごく高徳のお坊さんでありまして、修行のすさまじさは、仏教の開祖のお釈迦様にも劣らない程の人なのであります。大峰の修行については、修験道のことですから私はまったく知りませんので、要領を得ないのですが、行尊さんは一人で分け入りまして、乏しい食料で修行に打ち込んだようでありますが、仏教でも非常に困難な道を歩んだ人と言うことなのです。小一条院敦明親王の孫なんですが、お父さんが早世しまして、仏門に入った人なんです。後には数々の霊験を示しまして、鳥羽院の護持僧に落ち着いたというんですが、調べたら説話もしっかりありますし、知らない方が恥ずかしいというようなお坊さんです。松尾芭蕉さんは、『奥の細道』のなかで、湯殿山で桜を見た時に行尊さんを思い浮かべておりますから、旅する人にとって、この歌は必須アイテムだった可能性があるでしょう。
まったくの擬人化というのは、子供っぽい気がいたしますが、世間の人は擬人法という説明はだいすきではないでしょうか。
『金葉集』巻九・雑上に入っておりまして、詞書きが「大峰にて思ひがけず桜の花を見てよめる」とありまして、行尊の家集とは違うので、ここに『金葉集』編者の源俊頼の理解が示されているのかも知れません。だとすると、二句目の「あはれ」というのは、「思ひがけず」めぐり逢ったことによる感動でありまして、のんきな懐かしさを述べているのではなく、賞美すべき桜を発見して、山中の孤独をひしと感じている修行者の感懐ではないのでしょうか。信綱や白秋の理解と同じで、修行者の方は一人がいいという気がしますが、本当に一人でいいのかというと、『百人一首一夕話』のイラストは、修行者が大勢でありまして、そっちの方が正解なのかもしれません。
山桜よ、思いがけずお前を見てほれぼれ感動した、私以外にお前を眺める人はおるまい……ということは、お前も私を見て感動しておくれ。この花以外、この大峰で私と共感できる風流を解する人もいないのだ。(粗忽謹訳)
というところでしょうか。実は以上の解釈は私のオリジナルな理解を示したものです。世間は違うんですよ。ご注意くださいね。江戸時代には、季節はずれの桜かどうか、あるいは常緑樹の中にぽつんとある桜かどうか、というところでもみ合っていたようです。桜の問題ではなくて、修行者の孤独によってとぎすまされた感覚の問題のような気がいたしますが、どうなんでしょう? 現代の注釈は、桜をまったく擬人化して、「桜だけがお友達」という感じですが、下の句って、そんなに甘くはないような気がいたします。桜は物を言いませんよ。
直したところもありますが、2011年段階では以上のように書いておりまして、思わせぶりに突っ込みを入れているのは分かったのであります。だだ、もうちょっと気合を入れて追及してみたいと思います。
上三句は擬人法でいいと思います。「山桜(よ)もろともにあはれと思へ」の倒置ですから、山桜の擬人化はそれでいいと思います。命令形になっているのを深読みすると、「我は汝をあはれと思へど、汝は我をあはれとは思ふや」ということで、擬人化とはいっても、山桜が同感するとは思っていない節があります。結構、冷静なお坊さんであります。下二句は安易に擬人法だと考えるのは不可であります。言葉を補ってみますが、可能性は二つあって「我には花よりほかに知る人もなし」なのか、それとも「花よりほかに我を知る人もなし」なのかなんですが、近年の注釈は後者を例外なく支持しているのであります。そこがおかしいと思います。擬人法の歌だから「花が我の心を知る」という理解をして、その結果「もろともにあはれと思へ」という命令形が成立するという道筋ですが、たぶんこの解釈は大間違いのはずです。じゃあ、前者がいいかというとそうではありません。実は「わたしには花よりほかに知己・知人もいない」という注釈書もあるにはあるんですが、それはもう一歩でありまして、やっぱり不十分だと見えるのです。もったいぶらずに示すと、すでに上で表明したように、実は「ここ大峰には花よりほかに風流人もなし」という意味ではありませんか。
「花よりほかに風流人もなし」を擬人法と言うのは簡単ですが、これは実は「結局ここにも風流人はいない」ということを言っているにすぎません。「だれも風流人はいないのだ」と行尊大僧正は思っていたはずであります。
「知る人」というのは慣用句になることがありまして、デジタル大辞典によれば、①知人・知り合い、②愛人・愛する人、③情趣を解する人、ということでありまして、ほらほら古典を読む人なら③の「情趣を解する人」というのは、「心ある人」なんかと並んで、和歌を詠むような風流人を語る時には大切なんじゃありませんか。つまり、すばらしい雪月花や紅葉を見た時には、それを「心ある人」や「知る人」に告げたい、この場に風流の分かる「心ある人」や「知る人」がいたらいいのに、というのは古典の基本でありましょう。諸注釈はそのことをすっかり忘却してこの行尊大僧正の歌を解してみようとしているのであります。はっきり言って、これまでの注釈者は、現代語であれこれ考えているに過ぎないのであります。
下二句は、「ここ大峰には、花よりほかに、この感興を共有する風流人もいない」と述べているはずです。「風流人なんてここにはいないさ」と冷めているのであります。
おそらく行尊大僧正の歌の構造は、上三句と下二句が倒置の関係にありまして、先行する認識は下二句であり、これが原因となっていて、その結果上三句の強烈な命令形が発せられるという構造なのでありましょう。歌を繰り返し朗詠することで、下二句が先行し、上三句がそれに追随するという形になって、一首が完結していくはずなのです。つまり「ここ大峰には花よりほかに(この今の感興を分かち合うような物の心を)知る人もなし、故に、山桜(よ)もろともに(この思ひがけぬ大峰の出会ひを)あはれと思へ」ということを詠んだ歌であります。よって、現実的には桜の花が「知る人」ではないことをかみしめながら、桜の花との逢瀬をともに喜ぼうとしている歌であります。この「知る人」は「知人」「知己」では物足りなくて、やはり「風流人」「風情を解する人」でなければなりません。
君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香をも 知る人ぞ知る
(『古今集』巻第一・春上 38番 紀友則「梅の花を折りて人に贈りける」)
誰をかも 知る人にせむ 高砂の 尾上の松も 友ならなくに
(『百人一首』第34番 藤原興風)
友則の「知る人」は「風情を解する人」でありますし、興風の歌では「知人」でありました。「知る人」の慣用句を使ったこんな歌があった事も忘れて、「我が心を知る人は花」だというような甘い甘い解釈は、お花畑の中の解釈という気がいたします。むしろ、「この修行の地である大峰には、花よりほかに知人なんていない。実際のところは花も知人たりえないが」、とう解釈の方がましでありましょう。そこをもう一歩進めて、「知る人」を「風情を解する人」「風流人」と捉えれば、一首の狙いが見えてくるのです。修行に励む大峰で思いがけず山桜をうっとり鑑賞してしまったものの、その風情を共有する「知る人」なんて大峰にはいないわけです。じゃあ、しょうがないから「山桜君自身に賛同をにお願いしようか」、というわけですね。この歌は、人生の苦みの効いたおしゃれな歌だったんです。
〔蛇足の蛇足の蛇足〕
2023年になって、昔のブログ記事をアップデートしましたが、それだけでは物足りなくなって、書き足したものを以下掲載いたします。
もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
(『金葉集』巻第九・雑上 556(510)番・大僧正行尊
「大峰にて思ひがけず桜の花を見てよめる」)
『百人一首』の第66番の歌でありますけれども、こんな見た目に簡単な歌に問題があるとは思いませんでした。たぶん、2011年に扱った時には、割と近年の注釈書の解釈がピンと来なくて困ったのだろうと思います。下二句の解釈がでたらめではないかと言うところまでは勘付いたのでありますけれども、おそらく決定的な考えがまとまらないまま、次の歌に興味を注いだのだろうと思うのです。解釈の可能性は次の三つであります。
A (我には)花よりほかに 知る人もなし
B 花よりほかに (我が心を)知る人もなし
C (ここ大峰には)花よりほかに 知る人もなし
Aの解釈をする注釈書も多いのでありまして、その場合の「知る人」というのは「知己」「知人」「旧知の人」なんですが、「大峰にて思ひがけず桜の花を見てよめる」という『金葉集』の詞書となんとなくちぐはぐするのであります。Bの解釈は近年の注釈書にあるものですが、さて日本語の普通の文体で、目的格の明示をしないで済むのかどうか。この場合、まったくの擬人法で花が人の心を知るということを言っているので、児童・生徒は納得するでしょうが、大僧正ほどの人がそう思って歌を詠むものかどうか。この場合、「知る」は「察知する」「推察する」という単なる動詞であります。たぶん、正解はCでありまして、この場合「知る人」は「風流を解する人」「風流人」でありまして、古典では基本的な慣用句だと思うのであります。どうして、みんなこれを無視したんでしょう。
そう思って、『行尊大僧正集』の当該歌の詞書を見たり、直前の歌を見たら、どうやら「大峰には花よりほかに風流を解する人もいない」というCの理解で正解のようです。この歌集を親切に引用している注釈書もありますが、どうしたんでありましょう、誰も「知る人」の解釈に役立てなかったようです。引用しておいて無視するというのは、非常に不思議な態度ではないかと思いました。
やまのなかに桜の咲きたるに、つぼみたるをさへ
吹き散らされて侍りしを見て、
山桜いつをさかりとなくしてもあらしに身をもまかせつるかな
風に吹き折られて、なほをかしく咲きたるを、
折り伏せて後さへにほふ山桜あはれ知れらん人に見せばや
もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知れる人なし
「もろともに」の歌の前の「折り伏せて」の歌を見たら、「知れらん人」とありまして、これはどう考えても「風流を解しているような人」という解釈しかできないもので、同じことを「もろともに」の歌でも表現しただけであります。「知れらん」は、四段動詞「知る」の已然形に、完了・存続の助動詞「り」の未然形と婉曲の助動詞「ん(む)」の連体形が付いたものであります。「もろともに」の歌の末句の「知れる」は同じように、四段動詞の已然形に完了・存続の助動詞の連体形「る」が付いたもので、『百人一首』と少し表現が相違しております。二番目の歌で「山桜の咲き誇る情趣をそれが分かる人に見せたい」と述べ、三番目の歌で「この情趣を分かる人は花以外にはいない」と修行の場である大峰の環境を考えて述べたわけです。つまり、もはや自分以外にヤマザクラの風情を解するものがここにはいないのだという、孤絶した土地での感動体験の吐露なんであります。
しかしなあ、もともとの家集まで引用しておきながら、「知る人」の解釈を間違えるというような状況を、一体どう捉えればいいのか分かりません。憎まれ口をたたくのをお許しいただきたいと思います。注釈書の多くは専門の研究者によるものなんですけれど、研究して出しているというのとは違うのかも知れません。ひょっとして、一般には劣った説を流布し、密かに大枚はたいて入門した弟子には秘伝をこっそり教えるというような、中世古今伝授のような世界が、まだこの日本には存在するのかもしれませんね。和歌の「闇」は、深くて暗くて恐ろしいのだろうと想像するばかりであります。もちろん、闇などなく、単に本を機械的に出版しただけなのでしょう。実際の作業は、学生のアルバイトが従来の注釈を切り貼りし、出版社員が校正して出来上がりであります。年末に出せば売れたことでしょう。もちろん、以上のような勘繰りは冗談であります。
普通に考えると、行尊の歌が現代語に近いところがあるので、みんながみんな油断したというだけのことかもしれません。古典というのは、やっぱり文学的にも語学的にも油断大敵だということなのであります。一筋縄では行かないものだと肝に銘じないと、解釈に失敗するのであります。

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