北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(41) 壬生忠見

 41 壬生忠見


恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか


〔評釈〕私が恋をしてゐるといふ噂が早くも立つてしまつた。私は人に知られぬやうに心の中で恋し初めたのであつたのに。

といふ意で、恋の浮名の立ちやすいのを驚いて歎いた歌である。この歌は拾遺集恋一に「天暦の御時歌合に」として出てゐる。天暦は村上帝の御代の年号で、実は天徳年中禁中の歌合に、兼盛の「忍ぶれど……」の歌と優劣を競うた時、忠見は右方に兼盛は左方に衣冠を正して着席したが、「忍ぶれど」の歌が勝と聞くや兼盛は喜びのあまり、他の勝負は見ずに拝舞して家に帰つたといふ話のある歌である。共によい歌であるが、少しこの方はひびきがない様に感じられる。


〔句意〕▼すてふ=するといふの意。「てふ」は「といふ」の約。▼まだき=早くもの意。予めといふのが本義で、日本紀には「予」の字をあててゐる。▼思ひそめしか=思ひ初めたものをの意。宇比麻奈備に「初めしが」と濁りを訓むべしとあるが、「しか」は「こそ」とあるから用ひたので、やはり清みてよむがよからう。


〔作者伝〕

壬生忠岑の子で、幼名を「多多」と言つて摂津に住んだ。歌が巧みで宮中に召された時、乗物のないので辞退した。帝は戯れに「竹馬に乗つて」と仰せられたので「竹馬はふしかげにしていと弱し今夕かげに乗りてまゐらむ」といふ歌を捧げたといふ。後醍醐帝に召され蔵人所に勧め、天徳二年摂津権大目となつた。忠見は歌を以て出世したが、兼盛と歌を争つて負けて以来悶々として遂に発病して死んでしまつた。又歌のために死を早めたのも不思議である。


〔補記〕

作者伝の「竹馬は」の二句目は、佐佐木信綱『百人一首講義』では「ふしがちにして」とありますが、尾崎雅嘉『百人一首一夕話』では「ふしかげにして」となっています。『袋草子』が元の逸話ですが、そこには「ふしがちにして」とあって、表記が揺れるようです。


また、句意の最後の項目、「しか」か「しが」かの問題は、近世の注釈書は濁って「しが」とするのを支持しておりますが、白秋の指摘のように近代では係り結びを重視し、濁らずに「しか」と読むことが一般的です。「こそ~已然形」に逆接の意味を認めることで、「しが」説は退けられたようです。


〔蛇足〕

天徳四年の内裏歌合で、平兼盛の歌とつがえられまして負けてしまった歌であります。たしかに、負けはしたんですけれども、こうして『百人一首』に並んで入るぐらいですから、この二首の歌というのは、歌合史上最高の組み合わせだったわけでありまして、この二首に優劣を付けるのは大変なことだと、当時の歌合の関係者も気付いていたようなのであります。どうも主催者の村上天皇が右の歌を密かに口ずさんでおられる、というような指摘がありまして、右の歌すなわち平兼盛の歌が勝ったと言うことなのです。このあたり、判詞には、


「少臣頻候天気、未給判勅、令密詠右方歌、源朝臣密語云、天気若在右歟者、因之遂以右為勝」(『新編国歌大観』第五巻)

(書き下し)しばらく臣しきりに天気をうかがう。いまだ判のみことのりを給はず、密かに右方の歌を詠ましむ、源の朝臣密かに語りていはく、天気もしくは右にありか、これによりてつひに以つて右勝ちと為す


とありまして、「天気」というのは帝の嗜好というか、天皇のお好みということですね。遊びなんだけど、みんな真剣なんであります。根回しなんてないわけで、帝が勝敗を決めなさいと言うと、みんな狼狽していたんであります。ひょっとしてどちらか勝たせたい方があるのか? なんて判者は思いまして、そうするとひそひそアドバイスするしっかり者もいるのであります。和歌の本質は遊びなんですが、それでも本気でありますから、右往左往するんでありますね。


     内裏和歌合 天徳四年三月卅日於清涼殿有此事

       廿番 左      忠見

   こひすてふ わがなはまだき たちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか

          右勝     兼盛

   しのぶれど いろにいでにけり わがこひは ものやおもふと 人のとふまで


判者は左大臣の藤原実頼という人だったのでありますが、この人は謹厳実直な人物だったようですが、判詞のなかで左の歌もいい歌だとコメントしておりまして、和歌を理解し、批評も出来るなかなかの人物であります。藤原定家は『百人秀歌』や『百人一首』に採用するに当たって、この二首を引き離さないように留意したのでありましょう。


現在、解釈が紛れることはないだろうと思うのですが、ひとつ揺すぶってみるなら、二首の歌のなかの「人」というのを一般には三人称の「他人」の意味で取るのが普通でしょうけれども、これを和歌を解釈する際の基本に立ち返って二人称、すなわち「あなた」と見なしたらどうなるのかということです。従来の解釈だと、それぞれの歌は、言ってみれば独詠として理解するわけですが、それは近代的な解釈であって、たとえば恋愛の場面の贈答歌として使うことを前提に置き、「人」を和歌の受け手と設定すると、成り立つで有りましょうか?


古注釈も含め、分からなくなったら注釈するんであります。ということは、注釈者は分かっていない人?


そうしますと、忠見の歌の方は、「恋をしているという私の評判は早くもあなたのお耳に達したことです。あなたに人知れぬ思いを抱き始めたばかりなのに」という、あわてて告白する緊迫感が生じます。また、兼盛の歌の方はどうなるかというと、「私の恋心は、隠しておりましたが、表情に出てしまったことです。何かお悩みですかと、あなたが尋ねるまでに」となるのであります。帝のお使いなどで、后の許に出入りするような機会が有れば、女房などと接することもありますから、恋愛を前提としない交際もあるわけですね。それなのに恋に落ちてしまったというような場合を想定すると、それとなく相手に告白することになるわけでありまして、案外すてきではございませんか?


本来、そういう自由恋愛の告白の歌ではないのか。独詠の歌って古典にあるんですかね?


従来通りに「人」を「他人」とするような独詠とすると、詠作主体が男であっても女であっても、ちょっと頭の固い人物像になることでしょう。恋愛の評判を気にする風情なんでありますね。恋の初心者、もしくは洗練にほど遠いウブな人であります。しかし、「人」を「あなた」とすると、自然に高まる恋愛の風情がありまして、人柄に惚れているという自由恋愛の気分が楽しめるわけです。洗練された宮廷人の歌になるはずです。いかがでありましょう。


「人」を「あなた」とするのは、恋の歌では基本原則だと思うのですが、従来検討されていないようでありまして、さてさて、きっと思いつく私が変なのでありましょう。へそ曲がりな人間なんです。昨日思いついただけのことですから、私も信じておりませんが、大手柄の可能性はあります。

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