北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(38) 右近

 38 右近


忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命のをしくもあるかな


〔評釈〕見捨てられた我身の事は少しも思はないが、いまでも変らないと神仏に誓を立てて約束した君が神罰を受けはなさらないかと思ふと、心からその人の命が惜しまれてならない。

といふ意で、自分を忘れて相手を思ふ心を歌つた女らしい可憐な歌である。想像作ではなく実際であるところに同情が涌く。この歌は拾遺集恋四に「題しらず」として出てゐるが、真淵は「女ながらををしきまことの心をもちたる歌にて、奈良朝の風あり」と非常に称へ、又他説には「これは忘れられた腹立ちに俗に言ふふてくされに詠める心なり」と評してゐる。


〔句意〕▼わすらるる身=自分の身を言つたので先方の人に忘れられるの意。▼誓ひてし=神仏に誓ひを立てて契つたの意で次の「人」にかかる。「誓ひでし」と濁るは誤。▼人の命=誓つた男、見棄てた男の生命を云ふ。


〔作者伝〕

交野少将とも云ふ。右近少将季縄の娘で父の官名を用ひて右近と云つた。七条の后穏子に仕へてゐる頃、権中納言敦忠を恋人としてゐたが、後にその男が右近を棄てたのでこの歌「忘らるる」を詠んだといふ。

拾遺集や後撰集や新勅撰集などに合せて十首程の歌が出てゐる。


〔補記〕

句意の最初の語句は、次のようになっていましたが、文意が不明瞭なので、修正したものを掲示しておきました。

  ▼わすらるる=身分の身を言つたので先方の人に忘れられるの意。

「わすらるる」を「わすらるる身」とし、「身分の身」を「自分の身」と改めています。


〔蛇足〕

評釈の後半、「真淵が」以下は、佐佐木信綱『百人一首講義』の引き写しですが、信綱の趣旨が分かるように、信綱の文章を掲げておきます。


此歌真淵翁は、女ながらををしきまことの心をもちたる歌にて、奈良朝の風ありと、いたくめでられ、一説にはさにあらず、こは忘れられたるを腹立ちて、俗に言ふふてくされてよめる心なりといへり、いづれか正しからむ、合せ記して後人の考をまつ。


つまり、賀茂真淵はこの歌を「雄雄しい」と捉えるものの、別の説では「ふてくされてよめる」歌だと評されていたため、信綱は判断を保留したわけですが、白秋は相手を配慮する「可憐な」乙女心の歌として理解したことになります。たぶん、昭和5年発行の『小倉百人一首評釈』は若い女性向けの雑誌の付録として企画されたので、読者に配慮したのでしょう。それでも、「雄雄しい」とか「ふてくされ」というような解釈を引き写したのは、白秋の二度の離婚経験から思い当たる点があったのかもしれません。


問題は二句切れの歌と見るか、三句切れの歌と見るかという点に絞られるでしょう。そういう紛れが生じるのは、二句目末尾の「ず」という打消の助動詞が連用形にも終止形にも取れてしまうという弱点が存在するからです。ここは、五七・五七・七というリズムの歌であったと考えることで解釈は定まるかと思います。つまり、「ず」を終止形と捉えて、「忘らるる(我が)身をば(惜しくは)思はず。(されど、我に永遠の愛を命にかけて)誓ひてし(汝と言ふ)人の命の(絶えなんとするが)惜しくもあるかな」と補えば、この歌は分かりやすくなります。白秋の評釈も、ほぼそうなっています。さらに、「も」の働きを考えると、「人の命の惜しくもあらず」という本音が見えまして、真淵の「雄雄しい」という見解や、一節の「ふてくされ」という指摘が的を射ている感じがいたします。


  『大和物語』第84段

  おとこの、忘れじとよろづのことをかけてちかひけれど、

  わすれにけるのちにいひやりける

     忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな

  返しは、え聞かず。


右近の歌が出て来る『大和物語』を引用しましたが、この恋愛の経緯を見たら、解釈に紛れるところはほとんどないのであります。「よろづのことをかけてちかひ」というところに、「命を懸けて誓ひ」というニュアンスを読み取れば充分でありましょう。また、「ず」を連用形にして「忘らるる身をば思はず誓ひ」とする場合には、「誓ひ」の主語を作者自身とするようですが、それは、恋愛の歌としては不可ではないでしょうか。恋愛というのは、振られるリスクがあるほど燃えるわけで、身分違いの恋なら「忘らるる身を」覚悟しながらするものであります。よって、「誓ひ」の主語は相手であり、それは『大和物語』の本文がびしっと書き示している通りと見るべきなのであります。


要するに、さんざん命を懸けて愛しますと誓った男に対して、あなた死んじゃうのね、惜しいわよ、ほんとはあなたの命なんか惜しくないけどね、と突き放してみたのでしょう。だから、相手の返事はなかったわけです。この歌を、「惜しくもあるかな」という表現を真に受けて、「女の恋心の悲しさ」とか「未練断ちがたい女の愛の告白」などという理解もあるようですが、係助詞の「も」の働きから「惜しくもあらず」というニュアンスを汲み取って、宮廷女房のしたたかさを感得するべきじゃないのかと思います。


  忘らるる 身は惜しけれど 誓ひてし 人の命は 惜しからぬかな(粗忽)


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