北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(36) 清原深養父

36 清原深養父


夏の夜はまだ宵ながら明ぬるを雲のいづこに月やどるらん


〔評釈〕夏の夜は短い、まだ宵だと思うてゐるうちにもう明けてしまつたが、今まで見てゐた空の月も見えなくなつた。まだ西へは入つた筈はないが、いつたいどこのどの雲の中に姿を隠したのだらう。

といふ意で、子供らしい感情が見えて童謡の様な気持のする懐しい歌である。この歌は古今集夏に「月の面白かりける夜暁方に詠める」と題して出てゐる。全体の調子も内容もよく合つてすらすらすらとした歌で、夏の夜の短さを詠んだ多くの歌の中でも又百人一首中でも優秀のものといへよう。


〔句意〕▼宵ながら=宵のままでの意、美しい月を眺めて、宵の心地ですぐ暁になつたといふのである。夏夜の短い様が察せられる。万葉には「初夜」と書いて「よひ」と訓んである。▼雲のいづこに云々=雲のいずれの辺にかくれたのであらう。


〔作者伝〕

元来清原氏は舎人親王の後ではあるが、深養父の家系は分明でない。筑前介房則の子といはれてゐるが、世に知られた人ではない。山城国愛宕郡に小野に深養父の建立した補陀洛寺があつてここに住んだらしい。これは平家物語にも見えて居り確であらう。歌の上手であつた事は古今集の外勅撰集には多く出てゐるのを見ても察せられる。


〔補記〕

近年の研究によれば、深養父は元輔の父、紫式部の祖父に当たるそうです。

なお、補陀洛寺は、京都市左京区静市静原町辺りにあったという寺ですが、白秋の指摘通り、 「平家物語」の「大原御幸」に、「鞍馬どおりの御幸なれば、清原深養父が補陀落寺、小野の皇太后宮の旧跡叡覧ありて、それより御輿にめされけり」とあり、後白河法皇が建礼門院徳子を訪問する途中に立ち寄っていることがわかります。


〔蛇足〕

評釈を見ると分かりますけれども、白秋はこの深養父の歌を大絶賛しておりまして、歌のテーマである「夏の短夜」の歌として優れているとか、百人一首でも優れているとか高い評価を与えております。その結果、思い入れたっぷりに訳してありますので、試しに、元の歌の語句に即した白秋の訳を取り出してみます。


夏の夜はまだ宵のうちに明けてしまったが、どの雲の中に月は姿を隠したのだろう。


こういう解釈は注釈書類でも圧倒的多数でありますから、最初にこんなふうに教わったら、疑いもしないことでしょう。ともかく、これを踏まえた上で、白秋が味付けをした部分を考えて見ると、「今まで見てゐた空の月も見えなくなつた。まだ西へは入つた筈はない」ということですから、今や詠作主体の目には月が見えていないという理解です。ここも、近代の注釈書ではほぼ統一見解のようになっております。こういう状況がこの深養父の歌をめぐって展開されているんですが、非常に言いにくいのですが、こういう解釈はおそらく間違っていることでしょう。へそ曲がりが、またまた妙なことを持ち出して来たなと思われることでしょうが、こういう白秋をはじめとする解釈は、


「月の面白かりける夜、あかつきがたによめる」(古今集・夏・166 深養父 詞書)


という詞書と生じてしまっている齟齬を、はたしてどういうふうに解決するんでしょうか。せっかく煌々と照る月を夏の短夜に堪能して、夜明けも近付いたという状況説明なんですが、ここで白秋の示した解釈の骨組みを改めて見ていただくと、空に月はなく、そこから出て来る感想は、「残念だなあ」とか「惜しいなあ」とか、「ほんとに月はけしからん」などのはずで、月を賞美する歌ではなくなっております。そこにあるのは、月の鑑賞を妨げる夏の短夜と、月の姿を意地悪して隠すいまいましい雲の存在が際立ちまして、はたして白秋のように「子供らしい感情が見えて童謡の様な気持のする懐しい歌」と浮かれていていいのでありましょうか。明らかにダメですよね。


夏の夜はさしもみじかく、まだ宵のまに明けわたりぬるを、なほ中空に照る月は雲のいづくにか隠れ宿らんずらん、といへり。


江戸時代の香川景樹の『百首異見』にこういう解釈がありまして、分かりやすくするために送り仮名と漢字を少々あてがってみました。末尾の「んずらん」という表現は、「んず」が「むとす」の縮約形でありまして、「んずらん」で、「~しようとするのだろう」「~しようとしているのだろう」という、対象の今後の推移を予測する言い方であります。せっかくだから、この一文を訳してみると、


夏の夜はこれほどまでに短くて、まだ宵の刻の間に一面に明けてしまうものだが、今もなお天空に照り輝く月は、いったい雲のどこに身を隠し一夜の宿を取ろうとするのだろうか。


ここで注目すべきは、「なほ中空に照る月(=今もなお天空に照り輝く月)」とある点で、これは明らかに白秋の理解とは隔絶するものになっています。助動詞などを丁寧に読み解いてゆくなら、結論としては香川景樹の解釈が正しいのでありまして、幕末に登場したこの歌人が、和歌を読み取る才能に長けていたと思わざるをえません。



さて、深養父の歌の助動詞について考えてみたいと思います。まず、「ぬる」は完了の助動詞の「ぬ」の連体形でありますが、これは完了を表す用法ではありません。「~た」と訳して夜が明けたという解釈だと、詞書の「あかつきがた」という微妙な表現に合いません。それに、この月は有明月というわけではなくて、普通に考えたら満月ですから、満月は夜明け前に沈みますので、そうなると月は雲に隠れるどころか空に存在いたしません。よって、「ぬる」は強意とか確述と称する予測・予想の時に使われる用法でありまして、訳すならせいぜい「~てしまう」なんですが、副詞にして「きっと」と処理するか、なんなら訳さない方がよかったりする用法であります。


夏の夜はまだ宵ながら明けてしまうが/夏の夜はまだ宵ながら明けるが


というような、要するに夏の短夜を一般論で表現しているに過ぎないのであります。次に、歌の末尾の「らん」ですが、これは現在推量の助動詞でありますけれども、普通は「今~しているだろう」と訳すんですが、別にこの助動詞は現在進行を含んでいるわけではありません。「今~だろう」でも別にいいのであります。そして、ここが肝心ですが疑問詞と組み合わさると、「~だろう」で充分だったりする時が多いのであります。ですから、「いづこに~らん」は、「どこに~だろう」と訳せば十分なんであります。そうすると、歌の後半は、


雲のどこに月は宿るのだろう/雲のどこに月は宿るつもりだろう


というだけの事なのであります。「今雲のどこに月はやどっているのだろう」ではなくて、月を擬人化して「今夜はどこに泊まるの」とその心中を推測しているはずなんです。こうして訳して見ると、香川景樹の解釈がある程度妥当性を帯びるわけでありまして、これは、空に照り輝いたままの月を見て、今夜の宿はあるのかどうか気にしているという機知の歌であることが分かります。おそらく、月は素敵な貴公子などの比喩と理解していいわけで、今夜はどちらにお泊りなんだろうと、気にしているのであります。念のため、同じ『古今集』の夏の歌を掲げておきましょう。


五月雨に 物思ひをれば ほととぎす 夜ふかくなきて いづち行くらむ

 (『古今集』夏・153番・紀友則「寛平御時后宮歌合の歌」)


この五句目を、「どこへ行っているのだろう」とか「どこへ向かっているのだろう」とする必要はありませんね。「どこへ行くのだろう」「どこへ向かうのだろう」で充分でありまして、さらに「どこへ行く気だろう」とすれば、すっきりいたしますね。直前にこうした和歌があるにもかかわらず、現在推量にしてしまうとか、さらに何となく現在進行の推量を想定しているのはどうかと思うわけであります。

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