北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(35) 紀貫之
35 紀貫之
人はいさこころも知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける
〔評釈〕なつかしい故郷のやうな思ひのする初瀬へ久しぶりで来て見ると、主人の心は変つたかどうかそれは知らない。だが、ここに咲く梅の花だけは昔のままに匂つてゐる。
といふ意である。久しぶりで宿を借りようと思つて行くと、宿の主人が貫之のあまり久しぶりであることを取次の者に咎めた顔をさせたので、かへつてこちらから主人をうらみ返した歌で、作者の機智が見える。古今集の春上に入れてある。
〔句意〕▼人はいさ「人」は宿の主人をさす「いさ」は「否」で万葉には「不知」としてある。「いざ」と訓むは誤である。▼こころも知らず=人の心はどうか知らぬ。即ち人の心は変つたかどうか分らぬの意。▼ふるさと=古郷、即ち初瀬の事。今日の出生地をさす故郷ではなく、第二の故郷などといふそれにあたる。▼昔の香に匂ふ=昔そのままの香で咲いてゐるの意。
〔作者伝〕
家系は詳ではないが、父は望之といふ、歌人であつたといふ。延喜年中に御書所預であつたが延長八年土佐守となり、天慶年中に従五位に進み同九年に没した。古今集の撰者の一人で、万葉抄五巻、新撰和歌集をも選んだ。延喜の歌人では最上で三十六歌仙では人麿を左、貫之を右の第一としてゐる。全く和歌については勝れてゐた。又文章もよくし有名仮名文土佐日記は、彼が土佐守の任満ちて京へ帰る道中記である。明治三十七年に従二位を追贈された。
〔補記〕
作者伝の始めのところに、「延喜年中」とあるのは、昭和5年版では「延喜中」とありましたので、脱字を補いました。
また、「延長八年土佐守となり」とありますが、昭和5年版では「同八年土佐守となり」とあって「同八年」は「延喜八年」という内容になりかねないので、訂正しました。
さらに、「天慶年中に従五位に進み」は、昭和5年版では「天暦年中に従五位に進み」とありましたが通説に従い訂正したものです。よって、紀貫之の没年も、天慶九年という文脈になります。なお、現在は天慶八年に紀貫之が没したとするのが定説です。
作者伝の末尾の記事が気になりますが、明治時代に従二位を追贈された歴史上の人物は多いようです。なお、紀貫之の次に追贈されたのは上杉謙信(明治41年)です。
〔蛇足〕
紀貫之の歌が詠まれた事情は白秋の説明通りですが、『古今集』巻第一・春上42番の詞書を引用すると、次のように書いてあります。
初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、程経て後に至れりければ、かの家の主、「かくさだかになむ宿はある」と言ひ出だして侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りてよめる。
こんなふうに成立事情も明らかでありまして、前の興風の歌が松を擬人化しそうでしないのに対して、この紀貫之の歌では、当てこすりのために咲いている花を擬人化するんでありますね。このあたりが、『古今集』という作品の時代精神を表しているわけで、実は意外とクールな一面があるような気がいたします。その上で、和歌のもらい手に対する駆け引きがあるような気がするんですね。あくまでも、人に読んでもらえて歌として成立するわけで、作者一人の感慨ではないのだと思うのです。紀貫之の歌が、具体的な場面で詠まれた歌であるように、おそらく藤原興風の「高砂の松」の歌も、独詠ではなくて贈答歌のような場面を考えるべきでしょうね。『古今集』を見たら、藤原興風の前に「高砂の松」の歌があるのであります。
人はいさ 心も知らず 古里は 花ぞ昔の 香ににほひける
上の句の五七のところは、要するに「人はいざ知らず」と言うことでありまして、上にあげた詞書によって詳しい状況が明らかでありまして、初瀬の長谷寺参詣の常宿の主人から無沙汰を咎められたのに対して、皮肉を返した歌なのであります。不変の自然に対して、移ろいやすい人事と言いますか人の心を嘆いて見せて、軽妙洒脱な都会人としてのウィットが感じられるわけであります。
この歌は、宿の主人が男か女かという問題がありまして、さらに女なら恋人かどうか、宿があったのは古都奈良なのかというふうに、背景に関して異説が生じる余地があります。「にほひける」のところの、「にほふ」という動詞も、「かぐわしい香りがする」なのか、それとも「色美しく咲き誇る」なのかで説が対立するんですね。「古里」というのは、古典の場合現代のように出身地を表す言葉ではないというのが常識ですが、「古都奈良」を意味しているのか、それとも「馴染みの家」を意味しているのか、説が対立するわけです。白秋も巧みに捌いています。
ところで、『貫之集』を見ると、贈答歌になっておりまして、ちゃんと宿の主人の返歌があります。
814 人はいさ 心も知らず 古里は 花ぞ昔の 香ににほひける
815 花だにも おなじ心に 咲くものを うゑたる人の 心しらなん
『古今集』にはない宿の主の返歌を見ると、花だって同じ気持ちで咲くんだから、その梅を植えた私の気持ちを察して欲しい、あなたのことは今も昔も大歓迎ですよって、旅館の如才ない女将さんのような応答なんであります。なんだか、今回もまた夕飯はごちそうが出そうな雰囲気の返歌なのであります。
ともかく、紀貫之さんは、日常的にも歌が上手だったわけなのです。
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