北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(27) 藤原兼輔
27 中納言兼輔
みかの原わきて流るるいづみ川いつみきとてか恋しかるらむ
〔評釈〕あの人を何時見たといふこともないのに、どうしてこのやうに恋しいのであらう。つい一度も見た事もない人を恋して心を悩ますことは、我ながら不思議でならない。
といふ意で、自分を咎めながら又思ひ止められぬ恋のあこがれが詠まれてゐる。調子も流麗で、面白い歌である。改観抄に「この歌もよみ人しらずなるを新古今集にあやまりて兼輔卿の歌として入られたるを、今はそれにより給へるなり」と言つてゐる。
〔句意〕▼みかの原=山城相楽郡甕の原の事、昔瓶を埋めたので川水が流れ入つて涌いて出るといふ伝説もある。▼泉川=同所で今の木津川の上流。泉は湧いて出るから、わきて流るるにつけたのである。▼いつみきとてか=いつ見た事があつての意。「泉川」の「泉」から言ひかけたのである。「いつ」を「いづ」と濁つてはならぬ。
〔作者伝〕
右中将利基の六男で延喜五年従三位中納言に進んだが、承平三年五十七歳で薨じた。加茂河の堤の下に家があつたので、堤中納言とも言つた。歌人としては相当名のあつた人で、歌集もある。又文章も巧みで堤中納言物語はこの人の作である。紫式部の父為時は兼輔の孫にあたる。
〔補記〕
句意の「甕の原」は「みかのはら」と読みます。「甕」は、「みか」であるが、「かめ」とも訓じることがあります。そのあとに出て来る「瓶」も、ここは「かめ」と訓じるつもりで使ったと思われます。現代では「びん」と読ませることがありますが、文意からしてここは「びん」ではないはずです。
中納言兼輔は藤原氏。紫式部からすると、兼輔は父方の曾祖父となります。
〔蛇足〕
「みかの原」というのは、忘れ去られた古都で、奈良の手前にある小さな盆地に位置していたといいますが、どこにあるのと言うような忘れられた場所です。「分きて」のところは「湧きて」が掛けてあり、「泉」と縁語になっています。それから「いつ見」のところに、「泉」が隠れていて、同音反復であり、上三句つまり五七五の部分が、序詞になっている、なかなか修辞技巧のきいた歌と言えましょう。最後の所は修辞疑問であり、「見たわけではないが恋しい」ということを言っています。白秋の訳も以上を踏まえていると見てよいでしょう。
これでも問題は山積していて、白秋が契沖の『百人一首改観抄』を引いて注意喚起するように、この歌は『新古今集』になって勅撰集に姿を現すものの、兼輔の歌ではないことが指摘されています。佐佐木信綱『百人一首講義』では、もう少し長く『百人一首改観抄』を引用しておりまして、それによれば『古今和歌六帖』の「川」の歌の中に、「みかの原」の歌は出て来るんですが、それよりずっと前に兼輔の歌が作者名付きで出て来るものですから、そのあとの詠み人知らずの歌群の中にある歌なのに、誤解されて兼輔の歌とみなされたようです。また、『新古今集』においては、恋の一に入れてあるので、「未だ逢わざる恋」をモチーフとした歌だと撰者は理解していたと思われますが、主題をめぐっては古注釈などでも意見が分かれるため、解釈も揺れるのです。本当は逢ってからの歌だとか、チラ見はしているだろうとか、そういう深読みがなされております。
ところで、誰も指摘しないんですが、よくあることですけれども、「流るる」のところには「泣かるる」が掛かっていると言っても差し支えないかも知れません。修辞があると言ったり、ないと言ったり、気まぐれでありますが、そんなものでありましょう。本当のことは、歌を作った本人にだってわかりゃしないので有ります。「泣かるる」というのは、自然と泣けてくるというようなことですね。それなら、さらに言ってしまいますが、「みかの原」の所には、「見」が掛かっていると見ると、なるほど、「未だ逢わざる恋」なんかじゃなく、相手に内緒で垣間見したので恋に落ちたという歌になるでしょう。白秋の解釈とは違ってしまいます。ただの、序詞だと思っていた上三句が、いきなり有意の序に変じるということです。なお、序詞を有意の序として処理するのは、まるっきりの新見解のはずでありまして、剽窃する方はここが狙い目でありましょう。あなたが、パクって儲けたら、訴えて差し上げます。
そなたをちらりと垣間見して、恋心が湧いて、切なさに涙がついつい溢れて来て、まるで泉の如く、川の如く途切れません。いつ見たからとて恋しいのでしょう。あの夜、そなたを密かに見たせいで、恋しくてならないのです。私と親しくしていただけるでしょうか?(粗忽謹訳)
『百人一首』というのは、実は輪番で詠むような授業が大学でありまして、もう少し後の所を担当した記憶があるのであります。1980年頃の事です。調べ方が分からず、途方に暮れたような気がいたしました。時は流れ、2011年の初夏の頃、最初の10首くらいを気ままに取り上げて考えてみても、なかなか波乱含みであるということが分かりまして、素人考えでどうにかなるものではなかったのでありますね。それでも、『百人一首』の歌をいじって、俳句などをひねってパロディを試みましたが、自分なりの理解を深めてからもう一度元の和歌を眺めると、従来の注釈書のやっつけ仕事が見えて参りました。注釈書という体裁を取りながらも、実は和歌そのものを解釈しないで、注釈史を要約し、説明している物が圧倒的に多いような感じだったのです。
書店に行きましたら、案外『百人一首』は人気なのであります。あの作家、例の研究者、高名な大家、いかにもな企画は花盛りでありますが、なんとなく企画倒れな物ばかりな気もしまして、見なきゃよかったとまで思いました。もちろん、そんな毒舌を吐く私のブログだって、見なきゃよかった物の一つでありますけれども、私は私のためにメモしたのであって、正しいこと、熟慮の結果をアピールしたつもりはありません。正しいことを言おうとして、闇鍋のようになっている注釈書があるのには驚愕しますけれども、まあ、それはそれ、それぞれに何か目的や、出版社の目論見があってのことですから、目くじらを立てても仕方ないものです。歌も秀歌撰も、そして注釈書も、それぞれが時代を象徴しているものでありまして、何らかの意味があるのでしょう。
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