北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(26) 藤原忠平
26 貞信公
小倉山峰のもみぢ葉心あらば今一度のみゆきまたなむ
〔評釈〕小倉山の峯の紅葉よ、もし心があるならば、もう一度天皇の行幸もある事であらうから、それまでは散らずにお待ちしてゐてくれよ。
との意で、宇多天皇が御幸遊ばされて「今上帝の行幸があつてもよい所だ」と仰せられたのを貞信公がお供の中に居て、帰つてから奏聞いたしませうと言つて、この歌を詠まれたのである。拾遺集の雑秋に「亭子院大井川に御幸ありて行幸もあるべき所なりとおほせ給ふに事のよし奏せんと申して」と題して出てゐる。
〔句意〕▼小倉山=京都の西北大井川のほとり、嵐山に近い所にある紅葉の名所。一説に今の嵐山であるとも言ふ。▼みゆき=上皇のお出ましを御幸と書き、天皇のお出ましを行幸と書くが何れも「みゆき」と訓む。▼またなん=待つて居てくれよとの意。
〔作者伝〕
実名藤原忠平で、太政大臣基経の子である。延喜十四年右大臣に、承平六年に太政大臣に進んだ。天慶四年に摂政となり更に三宮に准ぜられた。小一条に住んだので小一条の太政大臣ともいふ。寛仁な人で政治上も熱心で醍醐朱雀村上の三帝に仕へ、信任が篤かつた。歌人としては別に申す程でもなかつたやうである。
〔補記〕
ここも、特に誤植のようなものも見当たらなかった。
〔蛇足〕
さすがに、問題がなさそうな歌であります。宇多上皇が紅葉の名所である大井川にお出ましになって、息子の醍醐天皇に見せたいというものですから、藤原忠平(貞信公)が醍醐天皇に奏上したという歌でありまして、紛れるところはありません。「みゆき」というのは、上皇の「御幸」やら天皇の「行幸」を指す言葉でありまして、要するに天皇のお出ましを待って散らずにいて欲しいと言うことなのでありますね。
この、最後の「なむ」というのは、願望・希望の終助詞などと言うものでありまして、白秋は「またなむ」を「お待ちしてゐてくれよ」と訳出し、句意としては「待つて居てくれよ」としています。この助詞は、成就しがたい無理な願いを頼むものでありまして、大概は止めることの出来ない自然の流れなどに対して、強引な要求をするものなのです。だから、待って欲しいとは言っていても、無理を承知している表現なのです。だとすれば、「小倉山のもみじ葉は、まもなく散ってしまいますから、お早めにお出まし下さい」というようなお誘いが裏に存在するわけです。「行かないと散りますよ」と、醍醐天皇をせかしているわけで、なかなか人心掌握術に長けた機知の勝った歌なのであります。
なお、近代の注釈書の中には、この歌を擬人法とする説明があるんですが、不思議でありますね。「心あらば」と表現してしまうと、素直に擬人化しているとは思われないわけでありまして、説明の角度が違うのではないでしょうか。微妙すぎて、自分でも何が言いたいか分かりませんが、「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらん」なら、素直に擬人法でいいと思うんですが、どうも貞信公の歌のばあいは、根本的に「心なきもみぢ葉」という認識がちらついて、擬人法という説明では落ち着かないのであります。まあ、仕方ありませんね、擬人法かも知れません。しかし、そのレトリックは指摘するまでもない。機会があったら、レトリックの本を眺めて考えてみることにいたします。
この作者の貞信公というのは、藤原忠平という人でありますが、藤原基経という人の子供であります。例の、陽成院が退位した時に光孝天皇を立てたのがその基経でありまして、これ以後の天皇の即位には、基経の子孫が大きく関わるようになるわけです。だから、宇多上皇のお伴をして紅葉を見てから、醍醐天皇に紅葉を見ませんかと声を掛ける気安さと言いますか、君臣和楽の精神はなかなか楽しいものでもあるわけです。
江戸時代の尾崎雅嘉という人がしたためた『百人一首一夕話』というのは、楽しい読み物になっているんですが、この藤原忠平について、子供時代の楽しいエピソードが書いてあります。基経お父さんと車に乗っている時に、「パパ、お寺を建てるのにこの辺がいいよ」なんて幼い頃の忠平が言うんであります。お父さんがどれどれと見てみると、確かにいい感じで、じゃあ大人になったらどうぞ、と言ったんであります。
この話は、『大鏡』に由来するんでありますが、それを見ると、もっと感動的であります。つまり、この時の基経お父さんは何のために車に乗っていたのかというと、基経さんの子供時代が関わるんですね。仁明天皇という方のお出かけに同行した、幼少のみぎりの基経少年なんですが、仁明天皇が琴の演奏のためのつけ爪を紛失するんであります。昔の牛車のことですから、要するに密室空間ではありませんから、どうやら道中、琴を弾いているうちに車から落ちてしまったと言うんですね。そこで、仁明天皇が幼い基経に探してこいと頼むんであります。そんな小さなもの、普通は見付かりませんよ。どうして基経に頼んだのか、そのこのところも理由は分からないんですね。おそらく、ただ何となく依頼したのでしょう。しかし、運命とはそういうものなのです。とても見付からないと思った基経少年は、仏様に祈ります。
「見付かったらお寺を建てます。仏様!」
そうしたら、見付かったんですね。その、琴のつけ爪が見付かったところにお寺を建てに行ったのが、大人になってからのことで、その車中に息子の忠平がいたわけです。そうしたら、息子はお父さんのために、「ここがいいと思うよ」ってアドバイスしますから、この息子はお父さん思いの利発な子供ですよね。お父さんは、昔の発願に従って建てる場所があるから、お前が大人になったらここに建てるといいよ、というようなことで、親も親なら子供も子供、人柄もいいし、それなりの出世も遂げてしまうわけです。
私もね、子供の頃に父親に、ここの土地を買ってと頼んだところがあるんです。そこは、のちのち新幹線の駅前になりまして、地価は100倍くらいになったのでありますが、私の父は凡人でありますから、おおそうか、買ってあげよう、などとは言いませんでしたし、私も父以下の凡人ですから、そこを手に入れる力も知恵もなかったのであります。
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