北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(24) 菅原道真
24 菅家
このたびはぬさも取りあへず手向山紅葉の錦神のまにまに
〔評釈〕この度の旅は、朱雀院のお供の旅で取急いで出かけたので、途中で神々に奉る幣も持つて参りませぬ。それで、ただ今この山の神に手向け奉る幣は、とりあへずここに美しく紅葉してゐる紅葉の錦を、幣として置きますが、どうぞ神の御心まかせに幣として御覧下さい。
といふ意で、菅公の神を敬ふ精神と、当時の朝廷の御風がしのばれる。この歌は古今集覊旅部に「朱雀院奈良におはしましける時、手向山にてよみ侍りける」と題して出てゐる。朱雀院は宇多天皇の御事である。
〔句意〕▼このたびは=今度の意に「旅」をかけて用ひたのである。▼ぬさ=神にささげる色々の帛の事。絹布を細く刻んで、袋に入れて、途中の神々に捧げて、道中の安全を祈つたのである。▼とりあへず=とりもあはせずで、とる暇もなくの意。▼手向山=奈良にある山、幣を「手向ける」にかけた。▼まにまに=心まかせの意。
〔作者伝〕
菅家とは道真の事。その祖は土師氏で、父是善は参議従三位となつたよい家柄である。
幼時から学を好み、特に文学に秀で、賢明のほまれが高かつた。元慶元年に文章博士、昌泰二年に右大臣に昇り、宇多上皇、醍醐天皇の御信任を篤うしたが、藤原時平の讒によつて筑紫に流された。太宰府で悲しい月日を送り、五十九歳を以て配所で薨じた。詩歌の優れてゐた事は既に皆承知の事であらう。
〔補記〕
珍しく誤植などが見当たりませんでした。
〔蛇足〕
白秋の評釈における解釈は、「幣」という言葉が四回も繰り返されて錯綜しているので、元の道真の和歌の表現に即して簡単に示すと、次のようになります。
この度の旅は、幣も持って参りませぬ。手向け奉る(手向山の)紅葉の錦を、神の御心まかせに(幣としてご覧ください)。
白秋が句意で明らかにしているように、「たび」が「度」と「旅」の掛詞として二度訳してあります。「手向山」も地名と「(幣を)手向ける」の掛詞ということですけれども、白秋の訳には「手向山」が「この山」となっているので、「紅葉」の前に「手向山の」とかってに補ってみました。こうしてみると、「幣としてご覧ください」が元の和歌にない補いでありますが、これは尾崎雅嘉『百人一首一夕話』や佐佐木信綱『百人一首講義』に従ったもののようです。現代の注釈書では、この補いが「お受け取り下さい」でだいたい統一されておりまして、どこかで風向きが変化したようですが、そうなったきっかけはにわかに分かりません。古今集の歌ですから、そちらで強い主張があったのかもしれません。
近代の注釈は、この菅原道真の歌を二句切れとみております。その結果、なぜ「幣を用意できなかったのか」という点に、異様にこだわっております。道真が、うっかり幣を忘れちゃったと考えるんですから、笑えます。さらに、「神のまにまに」のあとには、「ご覧ください」や「お受けください」を補うとするのが一般的となっています。みんながみんなそう理解しているわけです。しかしながら、それながら、果たしてそうなのでしょうか。そんな補いが、妥当なんでしょうか。かなり疑問だと思います。
不思議に思うのは、「手向山」に「手向け」という動詞が掛けてあるという、最も基本的なことが近代の注釈書では抜け落ちております。古注釈は、白秋さんと同じように掛詞として処理してあるように見受けられますが、二句切れにする以上、物足りないのであります。ですから、どうやらこの歌は三句切れと見るほうが自然で、「幣もとりあえず手向け」と理解するほうが分かりやすいのではないかと思います。もっとはっきりと主張すると、この歌は倒置法の歌で、解釈するなら三句目を二度使うことにするのがいいでしょう。三句目から四句目五句目が、通常の文の上の部分であるはずで、そこに初句二句が連なりまして、文末は「手向山」ではなくて、そこに掛けられている動詞の「手向け」ということです。念のため訳してみますが、倒置しているところをひっくり返して訳しますので、驚かないでいただきたいと思います。
手向山では、この美しい紅葉の錦を、神の御意志に従って、今回は幣として何はさておき手向けます。
となりまして、別に余計な補いなど必要のない歌となりました。こうなると、「たび」の掛詞も、もう不要でありましょう。二句目の「とりあへず」は動詞としての用法ではなく、「手向け」に掛かる副詞句に収まりますが、それでよろしいと思います。ともかく、簡単に言ってしまえば、「紅葉の錦」を「幣」として「手向山」で「手向け」るという歌ではないかと思うのですが、そういう解釈は従来皆無に近いのであります。唯一見付けたのは、応永十三年(1406)に藤原満基が書写したとされる宮内庁書陵部蔵『百人一首抄』でありまして、これを見ると、
されば山の紅葉をそのまゝに神にまかせて手向る心也
とありますから、こういう理解でいいんじゃないのと思う次第です。この古注釈は宗祇も伝えた内容なんですが、どうももっと古いもので、二条為世の説を頓阿が書き留めたといわれているんですが、大昔は何の問題もなく「神にまかせて手向ける」だと理解していた節があります。
さてさて、菅家、すなわち菅原道真の歌に対する諸注釈の混迷ぶりがすごいのでありますけれども、どうやらこの歌が詠まれた時の朱雀院の御幸のルートを江戸時代の国学者が考証した結果、この「手向山」は固有名詞ではなく普通名詞であるというような説が強固に主張されたようです。『古今集』の詞書を無視するという暴挙は、江戸時代の鼻息の荒い国学者ゆえの勇み足でございましょね。百歩譲ると、三句目を掛詞にする歌ができちゃったので、「手向山」という山名をルートから外れたところから道真が借りたっていいわけです。
ともかく、これまでの注釈書では二句切れは絶対で、その結果幣を持ってこなかったとするのであります。さらにさらに、「神のまにまに」を受ける動詞がありませんので、「お受けください」というような(ある意味でたらめな、恣意的な、神をも恐れぬ)補いをするんでありますが、これはおかしいと思います。「まにまに」は、「他者の意志に従って」こちらが何かするという使い方をするわけで、要するにでたらめな解釈が横行していたようなのであります。当たり前ですが、神意に従って「こちらが何かする」という表現を補う必要があるわけで、神様に「お受けください」というお願いが来るはずがないのであります。だったら、「とりあへず」の「ず」を連用形とみなし、下の句を倒置法とみなして「まにまに」を受ける言葉として掛詞の「手向け」を補えば、万事解決であります。「ここ手向山では、紅葉の錦を幣に見立てて、神のまにまにこの度は取りあへず、幣も手向けたるぞ」というのが、私の解釈であります。念のため、「まにまと」「まにまに」の例を適当に挙げて見ます。
万葉集1785 人となる ことは難きを わくらばに 成れる我が身は 死にも生きも 君がまにまと 思ひつつ ……
万葉集1912 たまきはる我が山の上に立つ霞 立つとも座(う)とも君がまにまに
古今集 391 君が行く越の白山知らねども ゆきのまにまに跡はたづねむ
古今集 393 別れをば山の桜にまかせてむ 止めむ止めじは花のまにまに
どれもこれも、相手の意向のままに、こちら側が何かするという歌でございます。だいたい、「神の意に従って(神は)ご覧ください」とか「神の意に従って(神は)お受けください」って、非常に傲慢な言い方でありまして、そんな言い方が神様に出来るものなのでしょうか。「神様よ、あなたの好きなようにしなさい」とか「好き勝手に見ろよ」「好き勝手に受けろよ」とか、それって放任する言い方であります。敬意が欠けます。
つまり、幣を奉納するというのは、山の神に敬意を表するためで、神様の御意向に従って恭しく幣をお捧げいたします、という姿勢でなければ、いけないことでしょう。もう少し詳しく言うなら、私共の持参した幣に代えて、この山の美麗な幣を奉納申し上げ奉る、どうか安全無事にお通し下されという恭順の姿勢だったと思います。
きっと、この私は何かとんでもない誤解をして、その結果、この歌が倒置法に見えちゃったんであります。念のため言っておきますが、若い児童・生徒・学生さんなどが学校の宿題とかレポートにこれを引き写すと、たぶん大幅減点、もしくは0点でありますから、コピペするのは止めた方がいいと思います。理研にいて「何とか細胞がある!」と叫んだ割烹着のあの人みたいに、思いっきり叱られますよ。例えが古くてごめんなさい。
菅原道真が「手向け」と掛詞にしたくて「手向山」を選んだんだから、「手向山」は知る人ぞ知る固有名詞のはず。『枕草子』第十三段の「山は」で始まる段にちゃんと出て来るんですが、江戸時代の人はこのあたりの検討はどうしたんでしょうか、きっとうっかりしたんでしょう。
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