北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(22) 文屋康秀
22 文屋康秀
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ
〔評釈〕山風が吹くと、すぐこんなに秋の草や木が、萎み枯れてしまふから、山風の事をあらしといふのは道理のある事だ。
といふ意で、その景を眼前に見て山風の嵐といふ理を感じたのである。古今集の秋の下に「是貞の親王の家の歌合のうた」として出てゐるが、古今六帖には二の句を「なべて草木の」とあり、古今集序には「野べの草木の」とある。作者も「ふむやのあさやす」とある。佐々木信綱も「この歌の作者は康秀にあらず康秀の子朝康なり」と断定してゐる。
〔句意〕▼吹くからに=吹くとその為にの意。▼しをる=木の葉が散り草が萎れて枯れる事。▼むべ=最もの意。又成る程、道理だ等の心。古書には「宇倍」又「烏米」とも書き、「宜」「応」「諾」にあたる。▼あらし=山から吹き下す風で、ここは物を荒す意と、山風と書いて嵐といふ事にかけたのである。
〔作者伝〕康秀の系譜は分明でないが、姓氏録に「天武天皇の皇子二品長親王之後也」とある。元慶五年には縫殿助に任ぜられた。清和陽成頃の人である。
貫之が「ふんやのやすひでは詞たくみにて、そのさま身におはずいはば商人のよき絹着たらんが如し」と評したのは、歌調の卑しい所があるからでせう。しかし三十六歌仙の一人であるから、相当の歌人に違ひない。
〔補記〕
白秋の評釈の中に、古今六帖の二句目を「なべて草木の」と指摘している部分は、昭和5年版では「なべての草木の」となっています。この部分、佐佐木信綱『百人一首講義』では、「なべて老木の」となっており、尾崎雅嘉『百人一首一夕話』では「なべて草木の」とあります。古今六帖では一般に「なべて草木の」とあるので、それに従って「の」を一つ削りました。
また、古今集序の二句目「野辺の草木の」は、昭和5年版では「野辺の草木」とありますが、これは佐佐木信綱『百人一首講義』の引き写しで「の」を脱したらしく、なんとなく、校正が間に合っていない印象です。
白秋の句意の中に、「むべ」の説明がありますが、この「むべ」の前にある▼の記号が昭和5年版では抜けていたので補いました。
白秋の作者伝における古今集仮名序の引用部分にある「いはば」の「は」が、昭和5年版では「に」となっていたので、誤植とみて訂正しました。
〔蛇足〕
文屋康秀の歌は、一見すると非常に分かりやすい歌のようですが、実は解釈に大きな問題がります。この歌は「嵐」という漢字を、「山風」と分解する言語遊戯がメインなのか、それともそうではないのか、古注釈では対立しているのです。山風が吹いて草木が枯れるので、それを「あらし」という時の「あらし」は、おそらく「荒らす」の連用形から派生した名詞の「荒らし」とみなします。別にここに、漢字を分解する、中国の「離合詩」のような発想を認める必要はない、というのが昔から主張されてきたことです。
これに対して、『古今集』337番の紀友則の歌などと類似の、漢字を分解した遊びであるとする説が根強くあります。友則の歌を紹介してみましょう。
雪降れば木毎に花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし
この場合は「梅」を「木」と「毎」に分けて遊んでいますが、その場合、歌の解釈には漢字の遊びの部分は関わってこない点に注意がいるでしょう。これと同じ事が、「吹くからに」の歌にも生じているのだと考えればいいわけです。白秋の句意の「あらし」の解説を見ると、対立する説を両方受け入れて、両立するかのように処理をしていて、舌を巻きました。その手があったかと感心しました。白秋のように、作者の作為には「山風=嵐」という考えがあったと指摘するにとどめてみるのもいいかもしれません。
なお、漢和辞典を引けばわかることですが、中国語の「嵐」という漢字には、「強く吹き荒れる山風」などという意味はなく、「山の清らかな風」とか「もや」という意味しかないそうです。「山風」だから「嵐」という漢字が出て来ると頭ごなしに言われると、もう我々は抵抗のしようがないのでありますけれども、本来の漢字にはそんな意味がないらしいと知恵が付いてしまうと、疑り深くなるのは仕方ないでしょう。それにしても、いつどこでどういうふうに誤解が広まって、暴風雨を「嵐」という漢字で認識したのか、これはもう謎であります。また、山風を言う大和言葉は「あらし」ではなく「おろし」であり、果たして作者の文屋康秀や、この歌を選んだ『古今集』撰者などに、「あらし=荒らし」という認識があったかどうか、怪しいところがあるような気がいたします。
そこで、従来の説には全くないと思いますが、ひとつ新見解を提示してみたいと思います。蛇足に蛇足を重ねて見苦しいかと思いますが、お許しください。実は、「あらし」に「あらじ」を掛けるのは古い歌に見られる修辞法でありますが、それならこの歌で「草木があらじ」と解することも可能ではないでしょうか。その場合、「どうして、秋に吹く山風を『あらし』と呼ぶのだろうか。そうか、山風が吹くや否や、秋の草木が枯れるので、「草木がどこにも『あらじ』」というわけだから、なるほど山風を「あらし」と呼ぶのだろう」となりますが、こちらのほうが、和歌の修辞の伝統からしたらはるかに妥当だと思うんですが、私の思い込みでしょうか。別に自信があって提示したわけではないのですが、いかがなものでしょう。
書いていて自分でもよく分からなくなるのでありますが、従来にない新説を思いっきり主張しているようにも感じられます。こちらが認められたら、これって、またしても大手柄?
ほんとに、いろいろと問題がある歌であります。白秋もあれこれ指摘していますが、文屋康秀の歌なのかどうか疑われているところがありまして、息子の朝康の歌かもしれないなどと言うのであります。また、文屋康秀は、六歌仙の一人でありまして、『古今集』の仮名序では、「文屋康秀は言葉巧みにて、そのさま身におはず。いはば商人のよき衣着たらむがごとし。」と言うのでありますが、はっきり言って誹謗中傷の言葉でしかありません。そんなことなら紹介しない方がましであります。紀貫之という人は一体全体何を考えていたんだか、けなすくらいなら紹介しなければいいわけで、しょうもないという気がするのであります。これを紀淑望が書いた真名序で見てみると、「文琳、巧詠物。然其体近俗。如賈人之着鮮衣。」とありまして、こっちの方が意味が分かりやすかったりいたしますけれど、結局悪口には違いなさそうです。
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