北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(20) 元良親王

20 元良親王


わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はんとぞ思ふ


〔評釈〕二人の秘密な恋が露はれて、大事となつてから、逢はれぬやうになつたので、心を苦しめ思ひ煩つてゐるが、かうして悩んでばかり居ては生きてゐる甲斐もない。どうせ同じ事なら命をすててでも逢はうと思ふ。

との意で、恋人が身も魂も投げ出した棄鉢の心持で恋した熱情がよく現はれてゐる。

この歌は後撰集恋五に「事出て来て後に京極の御息所につかはしける」と題して出してゐる。

京極の御息所は時平公の女藤原褒子で、宇多帝の女御である。元良親王がこの女御に逢はれた事が露れて問題になつたのである。拾遺集には「題知らず」として出てゐる。


〔句意〕▼わびぬれば=「侘」は物足らず、さびし悲し等の意で、ここは逢はれぬのをうらみ悲しむ意。▼今はた同じ=今はもう何事をなしても同じだとの意で棄鉢な心である。▼難波なる=みをつくしての枕詞、難波に澪標があるから。▼みをつくし=「尺寸をしるしたる木を立置て水の深浅をはかるものなれば水泳津籤の意なるべし」と宇比麻奈備にある。身を尽し=即ち命を終る意に言ひかけたのである。


〔作者伝〕

陽成天皇の第一皇子で元慶元年従四位上となり、次で三位兵部卿、式部卿に進まれた。

親王は歌人として有名なばかりでなく、好色の聞えも高い。親王の歌集を見ると、女との贈答歌が百六十余首も載つて居る。大日本史にさへ「好倭歌甚好色」とある。好色の程も察せられよう。天慶六年七月御年五十四歳で薨去になつた。


〔補記〕

句意の「みをつくし」の項目に賀茂真淵の『宇比麻奈備』の引用がありますが、天明元年の版本を参照し、脱字を補ってあります。「立置て」は現代なら「立て置きて」と送り仮名を送るものかと思います。ここが、白秋の昭和5年版では「立て置き」とあって、「て」が脱落していました。また、「水泳津籤」には、天明元年版本には仮名が振ってありまして、カタカナで「ミヲツクシ」とあります。白秋の昭和5年版では「籤」の字を脱落していて「水泳津」となっていましたので、漢字「籤」を補ってみました。さらに、引用の後に助詞の「と」がありませんでしたので、校正が不十分だったとみなして「と」を念のため補いました。


〔蛇足〕

句意のところで、賀茂真淵の『宇比麻奈備』が引用してありますが、これは白秋が利用していた佐佐木信綱『百人一首講義』の「わびぬれば」の語釈が貧弱だからであります。参考のため信綱の語釈を引用すると、二行無いくらいなのであります。


いまははた、今はまたの意なり。三の句は、みをつくしといはん為のみ、みをつくしは澪標をよせて、身を尽すといへるなり。


さすがにこれでは、物足りないと思って、真淵の説明をあてがったようです。ついでに、信綱のこの歌に対する解釈を引用してみましょう。


一首の意、かく事のあらはれて、うきめを見思ひわびてのみをれば、今はた身を捨てたるに同じ。さてとてもかく同じ事ならんには、なほ我身をつくし捨てだに、いかで逢はんと思ひなりぬるとなり。


せっかくだから、信綱の解釈と白秋の解釈の違いを探ってゆくことにいたします。詞書の反映の部分は、信綱が「かく事のあらはれて、うきめを見」とあっさりしていますが、白秋は「二人の秘密な恋が露はれて、大事となつてから、逢はれぬやうになつたので、心を苦しめ」と、かなり具体的であります。初二句の「わびぬれば今はた同じ」に相当する部分は、信綱が「思ひわびてのみをれば、今はた身を捨てたるに同じ」とありますが、白秋は「思ひ煩つてゐるが、かうして悩んでばかり居ては生きてゐる甲斐もない。どうせ同じ」とありまして、「同じ」の内容が相違しております。信綱は四句目の「身を尽くしても」を受けて「身を捨てたる」だから自暴自棄は同じだとしておりますが、白秋は初句の「わびぬれば」を受けて生き甲斐のない苦脳の日々は同じだとしております。


なんだか、白秋の補っている言葉に、不倫問題を起こした時の気持ちがしっかりと込められているような気がするのでありますが、いかがでしょう。


さらに、両者とも「難波なる」は「みをつくし」を導くためだけのものとして、解釈では無視しております。下の句の「みをつくしても逢はんとぞ思ふ」の部分は、信綱が「なほ我身をつくし捨てだに、いかで逢はんと思ひなりぬる」と、古語を古語で訳出しておりますが、白秋は「命をすててでも逢はうと思ふ」と現代語に訳しているんですね。ちなみに、二人とも「同じ」を「同じくは」という条件節があるものとして、信綱「さてとてもかく同じ事ならんには」、白秋「どうせ同じ事なら」と再度訳出している点は同じですが、文語と口語の違いは歴然であります。白秋は、昭和初期の若い女性向きに、ちゃんとこなれた口語を心掛けていることが分かります。


作者伝にもある通り、元良親王はあの陽成院の第一皇子であります。陽成天皇が退位したのちの出生ということですから、皇位継承が制度上可能であったかどうかは不明ですが、皇位に就くことは状況から見てかなり難しかったはずです。京極御息所は宇多天皇の寵愛の后ですが、宇多天皇の父光孝天皇は陽成天皇の退位を受けて即位した天皇という因縁があります。その時点で宇多天皇は源氏に降下していた人物でありまして、たぶん皇位継承のためあわてて皇族に戻ったはずです。京極御息所は、藤原時平の娘の褒子ですが、宇多天皇が退位し法皇となった後に寵愛を受け、生まれた3人の男子は醍醐天皇の子供として公表されていたりします。ともかく、皇位継承をめぐって因縁のある宇多天皇と元良親王の両方と、京極御息所は関係があったということになるわけです。


天皇の后に対して、天皇になりそこねた皇族が不倫を仕掛けるというのは、源氏物語の筋に限りなく近いのであります。事が知れたら、重大なスキャンダルであることが、よく分かります


ところで、この歌に関して、「澪標」と「身を尽くし」が掛詞になっている点については、例外なく注釈書は指摘するようですが、気になるのは、「難波なる」の部分に掛詞を指摘する注釈書が皆無である点です。とはいっても、私の本棚の範囲の話でありまして、探せばそれぞれ例外はあるかもしれないので、話半分で聞いていただきたいと思います。ということでご理解いただいた上で、大胆に指摘いたしますが、「難波なる」には、「名にはなる」すなわち「汚名を受けることになる」という意味が掛かっているはずです。もう少し柔らかく言うなら、ここが掛詞になっていても構わないことでしょう。

噂になっただけでもスキャンダルでありまして、衆人環視の中、もう一度事を起こせば、スキャンダルでは済まないというのが、「名にはなる」ということであります。つまり、一度なら過ちですが、二度三度繰り返せば反社会的行為として糾弾されかねないということなんであります。

「難波なる」と「名にはなる」の掛詞を認めないと、何が「同じ」なのかと言うところで解釈が迷走するんですね。その場合、「身を尽くす」ことが同じだと解釈する向きが大半のようですが、中には白秋のように「わびぬる」ことが同じだとする意見もあるんです。「難波」に「名には」を掛ける歌は少なくないはずですから、この歌に関しては、「どうせ評判になることは同じだ」とか、「結局不倫だと非難されることは同じだ」というほうが、正しいかもしれないのであります。


ちなみに、「身を尽くすことは同じだから、身を尽くしても逢いたいと思う」とか、「つらくなって侘しく思うことは同じだから、身を尽くしても逢いたいと思う」という自己撞着の解釈のおかしさに比べたら、「悪評が立つことは同じだから、身を尽くしても逢いたい」のほうが、世間を意識してそれでも愛を貫きたいということですから、かなりましな解釈のはずです。これが成立するなら、またまた大手柄でございます。けれども、今まで注釈を試みた人々は、この歌の内容を何だと思って解釈していたのでしょうか。不思議の極みです。

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