北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(19) 伊勢
19 伊勢
難波潟みじかき蘆のふしの間もあはでこの世をすごしてよとや
〔評釈〕難波潟に生えてゐる蘆の節の間はきはめて短いものだが、その節の間のやうな短い時間でも、思ふ人に逢はずに空しく此世を過せよとの御心中ですか。それはあんまり薄情すぎる。
といふ意で、たよりない恋人を恨めしく思つた恋歌である。新古今集恋一に「題しらず」として出てゐる。
〔参考〕宇比麻奈備に「短き蘆のふしの間のごときしばしばかりの逢うこともなきは、わが世をひたすらに恋つつ過せよとの心にあるらんと切にうらみたるなり」とある。想より調子の巧な歌である。
〔句意〕▼難波潟=摂津の今の大阪附近の海辺で蘆の多く生えてゐる名所。▼みじかき蘆の節の間=蘆の節と節との間の短い事。「みじかき」は蘆が短いのではなく、節の間にかかる。「間」は一寸の間といふ時間の意をかけてある。▼逢はで=逢はないでの意だが、空しくの意が含まれてゐる。▼この世=「この世」に節を「よ」といふから兼ねたのである。▼過してよとや=過せよとの御心中かの意。
〔作者伝〕
伊勢守藤原継蔭の女で、仁和の頃七条の后に宮仕へしたから、父の官名を用ひて伊勢と云つた。後、宇多天皇に愛せられ桂宮を生み奉つたので、伊勢御息所、又伊勢の御と申し上げた。
和歌にも秀で貫之躬恒と並称されてゐる。承平四年皇后宮の五十の賀、同五年陽成上皇七十の賀に和歌を上り、又醍醐帝の皇子の御袴着の祝の屏風に書く歌を上つた事は有名である。しかし晩年は不遇に終つたといはれてゐる。
〔補記〕
作者伝の部分で、句点の位置を修正した箇所が二箇所あります。まず、「後、宇多天皇に」という部分は、昭和5年版では「後宇多天皇に」と句点がありませんでした。伊勢は宇多天皇の子を生んでおります。もちろん後宇多天皇ではありません。また、「伊勢御息所、又伊勢の御」とある部分では、「伊勢御息所又、伊勢の御」となっていたのを改めました。
作者伝の後半で、「和歌を上り」「歌を上つた」は、「和歌をたてまつり」「歌をたてまつつた」と読むのがいいでしょう。「上る」は「たてまつる」と訓じるもののようです。
〔蛇足〕
この伊勢の歌は、細かい点で注釈書に対立点があります。たとえば、「みじかき」が「蘆」に掛かるとする説がありますが、そうじゃなくて「みじかきふし」なんだよと白秋と同じ説が多数です。「難波潟短き葦の」を序詞として、「ふしの間も」を掛詞と解く場合があるが、「節の間も」にはそれ以外に掛けている言葉が見当たりませんので、比喩ではないかという井上宗雄説もあります。実は、辞書の中には「節の間」で「少しの間」とするものがありますが、信用できません。これだけ有名な歌が有りながら、現代語に「節の間」なんて熟語は使っていないはずですよね。それから、この歌が独詠なのか贈答歌なのかという対立もありまして、分かりやすい歌だけに、紛糾するようです。
序詞の問題について余計なことを言うと、むしろ節と節が「合はで」と、あなたと私が「逢はで」を掛けたとみなし、上三句の「難波潟短き葦の節の間も」を「あはで」を導く序詞とする方がましかもしれない、などと思うのですがいかがでしょうか。「合はで」と「逢はで」を掛詞とする注釈は、見たことがありませんので、もし認めてもらえるなら、大手柄ということになります。一歩譲ると、上三句が「みじかい間も」というニュアンスがほの見える有意の序なんだと言ってしまえばいいでしょう。
それから、女流歌人伊勢の歌ではありますが、むしろ噂に聞いた女性に対して交際を迫る男の歌とみなしたほうが、『新古今集』の恋歌一での配置に納得がゆくかと思います。「題しらず」のこの歌に関しては、作者の性別に縛られて解釈する必要なんてないような気がするんですが、いかがなものでありましょうか。
改めて考えると、初句で「難波潟」と広大な難波の葦原を想像させまして、そこに背丈の高い葦には不似合いな「短き」という修飾句を持ってきて、「節の間」というふうに焦点を絞っているのが、この歌の眼目のような気がいたします。葦は茎から葉が直接出るために、葉を落として加工すると節の部分のゆがみが案外目立つもののはずです。特に、室内調度とする簾などの場合には、節のずれが案外気になるものだったと思います。それを「節の間も合はで」と言っているわけで、簾越しで対面したりする平安時代の男女にとって、意中の相手と会話する最初は、ずれている節のところが気になるんじゃありませんか。よって、歌の主旨は、「みじかき間も(汝と)逢はで(我に)この世を過ぐしてよと言うのか」と迫るだけの話でしょう。この後、簾をひょいと上げて、侵入するんですね。
力みかえって解説してみましたが、いかがでありましょう。賀茂真淵の『宇比麻奈備』なんかもそうですが、歌の主体が恋の終りを意識して、非常に深刻になっているとか、相手をなじっているなんてとるのが多いのですが、みんな馬鹿みたいな解釈であります。恋の終りの歌じゃないんですから、相手をなじっているんじゃなくて、「ちょっと共寝しましょう」と誘っているんですね。この歌を、「怨恨の歌だ」とはっきり間違えている解釈もあって、笑えてしまします。本当にどうかしています。
ここから、蛇足に蛇足を重ねます。昔、書いたことの焼き直しで恐縮です。
『百人一首』というのは、探せばいくらでも注釈したものがありまして、昭和40年代50年代には力作ぞろいだったのであります。ただし、江戸の昔から従来の説をありがたくコピーアンドペーストするか、諸説を網羅するかどちらかで作られたものでありまして、別にちゃんと考究されてきたわけでもないようであります。近代においては万葉集の専門家と平安時代の専門家は別でありまして、中世には中世の専門家がいたわけでありますから、実は『百人一首』を一人の人が考究し尽せるのかどうか、かなり怪しいと見るべきでありましょう。よって、いつも思うのでありますが、実はちっとも解釈は行き届いていないような気がするのであります。その、悪しき例がこの伊勢の歌でございましょう。恋の始まりの歌なのに、相手をなじったり恨んだり、罵声を浴びせていると解釈して、まったく平気であります。
注釈書を企画する側はどうなのか、考えて見ます。出版社は商売として売るわけですから、当然ながら一首で1ページもしくは見開きをあてがうわけで、限られたスペースでは語りつくせるわけもなく、よく言うお茶を濁す程度の説明になることは明らかであります。さらには、簡単で分かりやすいというのを売りにしたり、優雅で上品な王朝絵巻を企みますので、商業ベースに合わせると従来の説を焼き直したほうが無難でありまして、珍説・奇説を述べてもまずいのは火を見るよりも明らかなのであります。編集する人は、ある程度通説を確認して、そこそこの原稿を作っておきまして、著名な方にお伺いを立てることでしょう。白秋がそういうことに該当するのかどうか、それは分かりません。
考えてみると、歌と言うものは、詠む歌人は必死に作るわけで、そのエネルギーたるや大変なものがあるわけですが、受け取る側がみんながみんな必死の形相で味わい尽くすわけではありません。字面を見たり、口に出したりしまして、やがて覚えてしまえば折に触れて唱えたりするわけですが、必ずしも意味を正確に汲み取ろうとか、正しく解釈しようとするものではありません。近年の歌謡曲だって同じでありまして、作詞家の努力ほどには、聞く側は真剣ではないのであります。子供のころに聞き覚えた歌謡曲の歌詞を、大人になった今改めて吟味すると、実にたくさんの誤解をしていたりしまして、思わず苦笑することになります。
「骨まで骨まで愛してほしいのよ」(城卓矢『骨まで愛して』)と来たら、骸骨になっても抱きしめなきゃいけないのかと思いましたし、「世の中変わっているんだよ」(日吉ミミ『男と女のお話』)と言われたら、そうだよな世の中はへんちくりんなもので満たされているわいと、子供時代の私は思ったのであります。たぶん、正しくは「死んで骨になるまで愛してくれ」と望んでおりますし、「世の中は絶えず変化しているのだよね」と一般論が展開しているのであります。これと同じようなことが、『百人一首』にあっても驚かないわけで、享受する側が油断して誤解している可能性は大きいのであります。だから、実は伝統的な解釈も大したレベルじゃないのでありまして、数種の注釈を比較すればすぐに分かります。そして、良心的なものを見たら、ちゃんとそのことは書いてあります。
しかし、良心的な注釈も、100首となると行き届かないものだと思います。伊勢の歌ではみんな油断しまくっていたのでありましょう。
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