北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(17) 在原業平

17 在原業平朝臣


千早ふる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは


〔評釈〕この龍田川に紅葉の流れてゐる絵を見ると、流れる水をから紅の絞り染めにしてあるが、こんな珍らしいことは、不思議な事の数々あつた神代にも聞いた事がない。

といふ意である。この歌は古今集秋の下に「二条の后の、春宮の御息所と申しける時、御屏風に龍田川に紅葉流れたる絵を描けりけるを題にて詠める」と題して出てゐる。二条后は御名高子と申し清和天皇の后で陽成天皇の御母である。


〔句意〕▼千早ふる神代=「千早ふる」は神代の枕詞。本来はちはやぶる(千盤破)といつて強く荒い意であつたが、変化したものである。▼からくれなゐ=紅色の美しいのをほめて云ふ。ここは紅葉をさしてゐる。昔は唐から来たもので、唐藍、唐錦などと云つて舶来品を珍重したのである。▼水くくる=「くくる」は水を絞る事で纐纈即ち今の絞り染にすること。「くぐる」と濁るは誤。


〔作者伝〕

阿保親王第五子で、行平の異母弟である。容貌眉目秀麗、素行放縦で情的生活の華やかさは伊勢物語などに多く書かれてゐる。

熱烈な感情をよく歌にあらはしてゐるがその著想は常に奇警で大胆で模倣を許さぬ天才風の歌人であつた。六歌仙中第一人であらう。官は貞観年中に右近衛中将に、元慶年中は兼相模、美濃権守となつた。陽成帝の元慶四年に五十四歳で薨じた。


〔補記〕

句意の冒頭、「神代の枕詞。本来は」の部分、読点がありませんでしたが、文意を明瞭にするために付しておきました。


〔蛇足〕

 『古今集』293番素性の歌の詞書が掛かるようでありまして、それは「二条后の、東宮の御息所と申しける時、御屏風に、竜田河にもみぢ流れたる形を書けりけるを題にて、よめる」とありまして、屏風絵を見て詠んだ歌でありまして、もしかしたらこの歌は最終的に屏風に書き付けたものかもしれません。そもそもこれが在原業平の代表作なのかどうかという議論があって、よりによってこんな歌を代表作とみなさなくてもと誰もが思うようであります。また、「くぐる」のところは、くくり染めの「くくる」であるというのに対して、紅葉の下をくぐるのだとして「くぐる」だと主張する古い注釈群もあるわけで、解釈もおぼつかないのであります。それならいっそ、こうしてしまえとばかりに、数年前に考えましたのは、


  知は敗る 紙よも効かず 断つた側 カラー呉れないに 見ずグーグルとは(粗忽)


作った本人である私も訳が分からず、どういう意味なのかは読む人にお任せでありますが、あと1000年もすればこれを根拠に、業平の歌に奇妙奇天烈な解釈を施そうとする人も出て来ることでありましょう。後世の歌によって、古歌の解釈を施すという荒業を古典の和歌の研究者の手法にたまに見かけるので、そう言うことがありなら、私の歌によって業平の歌を解釈するということも可能でありましょう。


前回の歌は業平のお兄さんだった行平の歌でありましたが、あの歌の「因幡」には古来「往なば」が掛けてあるというのが定説ですが、それは後世藤原定家の時代などに、そういう掛詞の歌があるから仕方ないのでありますけれども、行平に掛詞の意識があったかどうか、ひょっとするとまったく無かったかもしれないのであります。くくり染めと言われると反論しようもないのでありますが、「水を括る」という言い方が成立するのかどうか。どうもわからない事ばかりであります。「纐纈染め」(こうけつぞめ)というのは、糸などを使って布地を括り、染色してから糸を外して、独特の柄と触感を出すものかと思います。それを知っていると、「潜る」説よりも「括る」説に傾くものなのであります。 

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