北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(15) 光孝天皇
15 光孝天皇
君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ
〔評釈〕そなたに送らうと思つて野辺に出て、若菜をつんでゐると、まだ春浅くて若菜つむ我が袖に淡雪さへ降りかかつた。かやうに辛苦してつんだ若菜であるから、その心して賞翫したまへ。
といふ意である。古今集春上に「仁和の帝、みこにおはしましける時、人に若菜たまひける御歌」として出てゐるが、
佐々木信綱は「まさしく親王の御身として雪ふる野べに出て、御手づから摘み給へるにはあらざる事論なし。ただ人に若菜を給へる日しも雪降りけるによりて、かくはよみなし給へるなるべし」と云つてゐる。
〔句意〕▼君がため=そなたの為の意。「君」はもと下から上をさして言ふ詞であるが、親しさのあまりに、我より下のものをも君と云つた。夫が妻を君と云ひ、親の事を君といふの類。▼若菜=芹、土筆、嫁菜などの食用となる春草を云ふ。
〔作者伝〕
仁明天皇の第三皇子で、東六条の小松殿でお生れになつたから小松の帝、又仁和の帝と申し上ぐ。嘉祥三年中務卿となり御年五十歳を以て、陽成天皇に次で天位に即き給うた。
幼時から経史をお好みになり、英明の資を抱かせ給ひ、和歌も相当の御力を有されたやうである。嘗て嘉祥三年に渤海国の使王文矩が、親王を御覧になつて「この皇子至つて貴き相おはしませば天位にのぼり給はん事うたがふべからず」と申し上げた程である。
〔補記〕
作者伝の中の「英明の資を抱かせ給ひ」の部分は、昭和5年版では「英明の資を抱かれて給ひ」となっていましたが、「れて給ひ」という表現は成り立たないと見て、修正しました。あるいは、もっと違う表現であったのかもしれません。
〔蛇足〕
評釈に出て来る佐佐木信綱の見解は、実は香川景樹『百首異見』に出て来るもので、引用してみましょう。
門人木下幸文云、ある人の為にとて、親王の御身として雪降る野べに出て御手づから摘み給ふにはあらじ。人に若菜給へる日しも、雪の降りけるによりて、かくは詠みなし給ふならん、といへるはさる事也。
これをそのまま引き写しにしていることが分かります。佐佐木信綱『百人一首講義』は、香川景樹の『百首異見』を粉本にしているわけです。
これに関して、実は『徒然草』第176段に面白いエピソードがあるので紹介してみましょう。
黒戸は、小松御門、位に即かせ給ひて、昔、ただ人にておはしましし時、まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで、常に営ませ給ひける間なり。御薪に煤けたれば、黒戸と言ふとぞ。
(訳)(清涼殿の)黒戸は、小松の帝が即位なさってからも、その昔、一人の親王に過ぎない身分でいらっしゃった時に、(ままごとのように)炊事をなさったのをお忘れにならないで、いつでも(炊事を)おやりになった場所である。(炊事のための燃料とした)薪にすすけたので、黒戸というのだと言い伝えられている。
宮中にある黒戸というのは、帝のいる清涼殿から後宮へ行く時に通る場所で、そこで光孝天皇が薪で炊事をしたためにすすけていたという話を、兼好法師が耳にしたようです。清涼殿も火災で焼失したこともありますから、すすけていたのがいつまでかは分かりませんが、天皇の炊事が珍しいのでお仕えする人たちが呼び名としたのかもしれません。ともかく、親王時代に炊事をしたことを思い出して、日常的に即位後も続けたと言うんですから、根っからの料理好きの天皇なのであります。
光孝天皇は55歳まで親王だった人で、いとこに当たる藤原基経の推挙によって天皇に即位しました。『古今集』では「仁和帝」と呼んでいますが、『大鏡』などでは「小松帝」と呼ばれておりまして、親王時代は時康親王であったわけです。即位したのは元慶8年(884)2月1日で、亡くなったのは仁和3年(887)8月26日ですから、在位期間は3年半、崩御したのは58歳の時なのです。この帝には、親王時代から連れ添った班子女王という女御がいて仲良く暮らしていたらしいのです。気ままな親王暮らしがよかったようで、班子女王が市場にでかけて買い物をしていたなどと言う話があります。班子女王は、帝の崩御後も生き、昌泰3年(900)まで生きたということです。親王時代は貧乏で、庶民からいろいろと拝借して暮らしていたらしく、即位したらよってたかって返却を求めに来たという話が、『百人一首一夕話』に書かれています。
『徒然草』の「まさな事」は、炊事のことだとされていて、おそらくは煮炊きを買って出て料理を班子女王などにふるまっていたのでしょう。だとしたら、若菜を摘むのも自分で、料理するのも自分なのだとしますと、古今集の詞書を疑うほどのことはないのであります。そもそも、いくらでもいる親王の一人で、それも皇位継承には縁がなさそうな場合、気位が高いはずもなく、来客を「君」と呼んでもおかしくはなさそうなのであります。親王だから炊事なんかしないのだという場合、『徒然草』の伝える伝承は無視することでしょう。
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