パロディ『春望』を作りて、杜甫『春望』を考察する アップデート版

2023年も年末でございます。ふと近頃、昔『春望』という杜甫の詩を考えたことがあったなと思い出しました。何かいいことを思いついたような気がして、夜も目が覚めるので、探してみたら見つかりましたので、アップデートしてみたいと思います。


2012年3月30日

桜のつぼみがちょっとずつほころび掛けておりまして、いつになったら咲くのやら、待ちかねているわけであります。咲いてもいないのに写真を撮っておりますから、これからゲートボールをしようかというおばあさんたちの集団から疎んじられましたが、それはやむを得ないこととして受け止めております。桜というのは樹皮が黒くなって異様な感じでありまして、花が咲けばそちらに興味が行くわけですが、咲くまでは何とも無骨な幹が剥き出しであります。

         昨日も撮影した桜の小枝。


よくよく見比べると、花びらの淡いピンクの部分が拡大しておりまして、つぼみが割れかけていることが分かりますが、普通に見ると同じ写真を並べてしまったようにしか見えないわけであります。毎日写真を撮影していますと、撮影する必要もないほど変化がありませんから、飽き飽きするんですが、よく考えてみると四季折々、あれが咲いてこれが咲いて、枯れたり散ったりしているわけでありまして、千変万化、めまぐるしいものがあるわけであります。自然の変化の激しさに比べたら、見ているこちら側はまったく変化がありませんので、人事は不変で、自然は転変するということなのであります。これは困りますよね。人事が転変するのに、自然は不変であるというようなことをどこかで耳にしたことがあるんですが、ああそうか漢詩はそういうことを言うのでした。漢詩って嘘っぱちばかりでありますね。


     春望          杜甫甫      


塵散在国家   塵散って 国家在り          

        チリチッテ コッカアリ

巷春憂鬱深   巷春にして 憂鬱深し         

        チマタハルニシテ ユウウツフカシ

怒世風飛涙   世を怒っては 風にも涙を飛ばし   

        ヨヲイカッテハ カゼニモナミダヲトバシ

恨運月驚心   運を恨んでは 月にも心を驚かす  

        ウンヲウランデハ ツキニモココロヲオドロカス

鬼火遺将来   鬼火 将来に遺り           

        オニビ ショウライニノコリ 

安否値黄金   安否 黄金に値す           

        アンピ オウゴンニアタイス

白頭撫更短   白頭 撫でても更に短く        

        ハクトウ ナデテモサラニミジカク

総黙不堪尋   総じて黙す 尋ぬるに堪えざらんと 

        ソウジテモクス タヅヌルニタエザラント 


杜甫甫という詩人のお噂はまったく聞きませんが、それもそのはずで中国の詩人杜甫の「春望」をベースにして漢詩をねつ造するに当たっての私の筆名でありますから、そこはぜひ「とほほ」と読んでいただきたいと思います。言わんとすることは以心伝心、すっかり明らかでありまして、解説する必要もないのでありますが、作ってしまった自分としては大いばりで解説してみたいものなのであります。本人が自ら解説するんですから、これ程確実なことはないのですが、昔の漢詩も本人に聞いてみたらびっくりするような内容だったかも知れません。一言添えると、偶数句の最後の文字は、「深・心・金・尋」でありまして、これはすべて平声侵韻になりまして、めでたく押韻していることになります。あとは、でたらめでありますから、気になさらずに。


    放射能が日本中に散っても、どうやら日本は踏みとどまった。

    世間は春めいていても、人の心の悲しみは深い。

    怒りを世の中に向けては、春風の中涙を流し、

    不運を呪っては、月の明るさにびっくりする。

    原子力発電の影響は、これからも日本の将来をおびやかし、

    子供たちの健康が、一番大事なのはもちろんだ。

    老い先短い自分が智恵を振り絞っても何も出て来るものは無く、

    いっそ、何を聞かれても困ってしまうから、口をつぐんでいることにする。



オリジナルの杜甫の詩は、安禄山の乱で都の長安が破壊されたことを嘆くんですけれども、山河草木、花鳥風月だけがそのままで、家族と離ればなれになって、髪は薄くなり冠が固定しなくなってしまったと言うようなことを詠んだようです。反乱が起きてから、杜甫は家族を安全なところに避難させたそうですが、本人は反乱軍につかまったと言うことで、長安から脱出する寸前の漢詩が「春望」でありますから、ひょっとすると彼の場合は遺書代わりだったのかも知れませんね。


せっかくですから、けちけちしないで紹介しておきますが、引用の誤りはご容赦下さい。こちらの押韻は、どうなのかと言いますと、「深・心・金・簪」でありますから、これも平声侵韻になりますが、これを見ると「簪」という言葉がこの漢詩の目玉でありまして、それに併せて「深・心・金」を使ったに過ぎません。ひょっとすると、漢詩を味わう時に押韻されている中に、キーワードが含まれていると考えるといいかもしれませんね。珍しい漢字があったら、それがおそらくキーワードでありまして、それに着目するとその漢詩の意味が明白になるかも知れません。


※押韻の中にキーワードがあるというのは、2023年段階で考えるとなかなかの卓見でありまして、我ながら感心することしきりであります。


     春望        杜甫


国破在山河   国破れて山河在り         

        クニヤブレテサンガアリ

城春草木深   城春にして草木深し        

        シロハルニシテソウモクフカシ

感時花濺涙   時に感じては花にも涙を濺ぎ    

        トキニカンジテハハナニモナミダヲソソギ

恨別鳥驚心   別れを恨んでは鳥にも心を驚かす  

        ワカレヲウランデハトリニモココロヲオドロカス

烽火連三月   烽火三月に連なり         

        ホウカサンゲツニツラナリ

家書抵万金   家書万金に抵る          

        カショバンキンニアタル

白頭掻更短   白頭掻けば更に短く        

        ハクトウカケバサラニミジカク

渾欲不勝簪   渾べて簪に勝へざらんと欲す    

        スベテシンニタヘザラントホッス


学校で教える時や注釈書が解説する場合は、「家書」というのが家族の手紙ということのようですが、これがまったくピンと来ない気がいたします。この漢詩が遺書代わりであったら、この「家書」はこちらから出す家族宛の手紙でもいいわけで、『学研漢和大字典』(藤堂明保編)にはそういう意味も載せております。家の蔵書の意味もあるそうですから、今なら買って来て本棚にしまっておく蔵書でしょうけれども、昔なら詩人が書きしたためて置いた詩を集めたら漢詩集になりますから、そういうものを指すのではないかと思います。つまり、ご先祖や父上の書きしたためた書物であります。そうすると日本語の「家書」との折り合いもいいんじゃないでしょうか。非難させて安全な場所に置いてきた家族からの手紙をありがたがっても、敵に軟禁されているんではこの漢詩の中では間抜けかも知れませんね。むしろ、「こっちから出す手紙」と取ると状況は緊張を生むことでしょう。この手紙を届けるのは大変で、どんだけお金を使ったことかということで、届いたらいいなあと言うことであります。


そうすると、最後の「簪」の意味が分かるんじゃないでしょうか。従来の解釈は「家書」の解釈がぬるくて、しくじっているのではないかと思うわけです。「家書」を「この手紙=『春望』という詩=遺書」と理解すると髪を留める「簪」はもうないのであります。売っちゃったとか、敵の見張りを買収するのにプレゼントしたとか、そう考えて見るといいのであります。……大手柄の予感がするんですが、千年以上読み継がれてきたんですから、これはきっと私の錯覚でしょうね。


でも、誤解ついでに、そういうことで訳しておきましょう。


    安禄山のせいで国はめちゃめちゃで、もとの山河があるばかり。

    長安の城中は春が来て、草木は茂りに茂っている。

    こういう時節柄に影響されて、花を見ても涙がこぼれるし、

    家族と離ればなれになったことを悔やんでは、鳥の声にも反応してしまう。

    戦乱の烽火はここ三ヶ月途絶えることを知らず、

    手紙を届けようとしてみたら、お金が途方もなく掛かったことよ。

    参ったなあと白髪頭を掻いてみたが、髪も短いが懐も寂しいよ。

    どっちに転んでも、もう簪を使う必要もないって思ったんだ。

     (殺されたら首がないわけだし、簪は手放したからね)


ここに訳したのは、ほんのさっきの思いつきでありますから、間違っていてもご容赦下さい。一般には、この杜甫の「春望」という漢詩は、沈痛であるとか絶望を表しているとか、なかなか深刻な漢詩であると評されているんですけれども、さて漢詩というのはそんなに深刻ぶるものであったでしょうか。「簪」は動詞じゃないとダメだと思うのですが、どうなっちゃってるんでしょうね。「かんざし」とか「髪どめ」とかではなくて、「簪を刺す」とか「髪留めを使う」という動詞のような気がします。朗詠する時の語調があるんでしょうか。でも「簪」を「シン」と呼んでも、にわかには分からないわけで、この種の漢文訓読も適当にしていい加減なもんなんですよ。 


つまり、押韻の要である「簪」は何か適当な訓を探す必要があったのに、それが上手く行かなくて、ごまかしていたんでありましょう。

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