瀬戸内寂聴『源氏物語』を読む(92) 柑子みかんのようなもの(3) update ver.

さて、現代語訳の『源氏物語』を読み進めておりますが、第19帖「薄雲」の巻の中で年が改まります。


光源氏は幾つになったのかと、「年立」というような便利なものを注釈書の付録などで見て確認してみますと、光源氏は32歳、紫の上が24歳、明石の上が23歳なのであります。藤壺中宮は37歳となっておりまして、冷泉帝が14歳、そこに嫁した前斎宮が23歳ということのようでありまして、こうしてあげた中に男性は2人、女性が6人ですけれども、これだけで幾つの三角関係が潜んでいるか、あれこれ考えて見ると面白いような、ちっとも面白くないような妙な気分が味わえます。ドラマとしては、第1帖の「桐壺」の巻からずうっと三角関係の愛憎劇でありまして、眺める風景はちっとも変わらないのであります。ただし、主人公の光源氏の心境というものは大きく変化しておりまして、そのことをついうっかり見逃してしまいそうであります。


どうやら光源氏は内大臣のようなんですが、左大臣が誰で右大臣が誰というようなことがぼんやりしていてはっきりしないのであります。それでも、彼は藤壺と一緒に冷泉帝を後見しておりまして、親代わりとなって前斎宮を冷泉帝の後宮に入れているわけで、政治的にはほぼ盤石の構えであります。政治的には完璧な冷血漢になっているはずでありまして、須磨下りのころの腹心の部下を重用して、日和見の中間派やかつての弘徽殿の女御一派に関しては、表立って敵対しない代わりに、勢力を削ぐことは怠っていないことでしょう。


その代表は、紫の上の父の兵部卿の宮(式部卿の宮?)の扱いでありまして、この人とは没交渉になっていたはずであります。以上のようなことが、実はこの巻ではまったく触れられておりません。小説ですから作者は自分が書きたいことを書くだけのことで、読者の疑問に答えるようなことをいちいち書く必要は無いのですが、実は光源氏はそうとう須磨下り以前と精神構造が違ってきているはずで、もしかしたらもう誰のことも信用していない可能性があるのであります。気になるのは、正月になって明石の上を訪問するんですが、相変わらず紫の上は嫉妬の炎を遠慮しませんけれども、それをやり過ごして明石の上と仲良くするんです。その時に、あれほど世話になった明石の入道の存在を疎ましく思っているという一節が入ります。「あれは偏屈でいかん」「あれがなければ、この女性が身分が低かろうと世間の話題にはなるまい」というようなことを、光源氏が感じているとあるのです。ピンチの時にさんざ世話になった親戚なのに、この恥知らずはもう恩人を疎ましく感じるんです。権力者らしいと言えば言えるんですが、善人ではありません。


さて、「薄雲」の巻では、次々と主要人物が亡くなりまして、第1シーズンの後始末が盛んです。


第1シーズンというのは、今回読んでみて感じた事の一つでありまして、第10帖の「賢木」の巻辺りまでが、最初の構想だったのかも知れないと言うことであります。玉鬘後記説を一応無視しますと、第10帖まではそれなりにまとまった話の流れがありまして、小説の緩急が上手に付けてあったと思います。第11帖からが第2シーズンだと決めつけたのは、末摘花というキャラクターのクローンである花散里という女性が出現したことで、要するに最初の構想を軌道修正したというような指摘をしてみたのでありました。ここに来て、葵の上の父であったお人好しの太政大臣が亡くなったことにしまして、さらに藤壺中宮が逝去するというふうに、原作者の紫式部は次のステージに向けて、上の世代を整理しているわけで、その辺りが少々ご都合主義な感じがするわけであります。


要するに、嫉妬する紫の上をなだめながら、明石の上というヒロインにのめり込むわけでありまして、もはや葵の上という正妻や、嫉妬のあまりに物の怪化する愛人六条御息所が退場したからには、秘密の恋人藤壺中宮も不要なのであります。そうすると、この藤壺中宮が背負っていた、世間に秘密の禁断の恋の相手が必要でありまして、それが前斎宮の梅壺女御になりますから、登場人物を上手にすり替えております。今なら、紫式部は企画立案に強くて、映画やテレビドラマのプロデューサーや演出家に向いておりまして、その資格充分なのであります。もちろん、優れた脚本家と言うべきかも知れません。ドラマの綾が生じる基本的な設定のありかたを心得ておりまして、単純にして複雑、複雑そうに見えて非常に単純に感じられるように事を運んでおります。


タイトルの「柑子みかんのようなもの」というのは、光源氏の思い人である藤壺中宮が亡くなる寸前に出て来る表現でありまして、死亡フラッグを立てた表現であります。写真は、「三宝柑(さんぼうかん)」です。紀州和歌山の名産品です。




気になったのは、お仕えしている女房たちが藤壺の衰弱を懸念するところでありまして、「柑子みかんのようなものさえお手になさらなくなりました」と嘆くところがあるのです。原文は「柑子」とありますが、これを寂聴さんは「柑子みかん」と改めまして、読者のための便宜を図っております。いまでも、古来種の「柑子」は北陸などで栽培されているそうですが、商品としての流通は限定されているようで、市場には出回らないようです。一度取り寄せて食べてみたいものであります。ともかく、口当たりのいい「みかん」も食べられなくなったら、病人にはもう死期が迫っているのであります。


この種の、果物の種類のようなものは、国語辞書などを開いても分からないところがあります。たぶん、商品作物の栽培などをしている人なら、昔からあるものを心得ているはずでありますから、知っている人は「柑子」がどんな甘さ、どんな食感か、どこで栽培され、どの畑のものが美味しいか分かっていることでしょう。そして、それは大切な秘密でありましょう。だから、なかなかうかがい知れないものかもしれないと予想が立ちます。お金をたんまり出して、柑子のいいものを手に入れてみたら、納得のおいしさかも知れません。それが食べられないというのなら、もうほかに病人が口にするものはないよということでしょう。


さりげない一節なのでありますが、当時の人なら藤壺に回復の見込みがないと分かるものだったはずです。藤原俊成さんが死の床で食べたいと言ったのが「かき氷」でありまして、息子の藤原定家さんは女兄弟にせっつかれまして真夏の京都中を探しまくったはずであります。葛からとった甘いシロップを掛けて食べるもののようです。

コメント

このブログの人気の投稿

岩波文庫『百人一首』を読む(81) 藤原実定

岩波文庫『百人一首』を読む(99) 後鳥羽院

足利将軍撰『新百人一首』を読む(6) 藤原菅根