瀬戸内寂聴『源氏物語』を読む(86) 絵日記提出(3) update ver.

瀬戸内寂聴さんの訳した『源氏物語』も、はや第17帖「絵合」の巻ですが、三角関係が気になります。


ここまで、あまり物語の中心に出て来なかった藤壺が、冷泉帝の後宮に前斎宮を入れようと強く光源氏に働きかけたことが分かります。このあたりが、分かったような分からないことでありまして、いろいろ考えて見る余地がありそうです。『源氏物語』の始めというのは、桐壺帝の後宮の確執でありまして、要するに弘徽殿の女御・桐壺帝・桐壺更衣という三角関係があったわけです。藤壺が入内した時に覚悟したのは、弘徽殿の女御・桐壺帝・藤壺女御という関係でありまして、いじめられたら困ると言うようなためらいがあったはずです。これが、光源氏の密通によって、とんでもないことになりまして、桐壺帝・藤壺女御・光源氏という親子と関わるはめに陥るわけであります。もし仮に藤壺が光源氏を愛していたとしますと、藤壺女御・光源氏・葵の上という構図になりまして、さらに実際の愛情が葵の上に無ければ、藤壺女御・光源氏・六条御息所というふうに流動化するわけです。六条御息所の場合は、この藤壺の存在に気が付かずに、妊娠した葵の上を祟ってみたわけで、ばれていたらどうなっていたのかということも考えてよいのでありましょう。


光源氏が冷泉帝の実の父親であるということが秘密である以上、光源氏が冷泉帝の治世に肩入れする必然性が藤壺は必要なのかも知れません。そこで、光源氏が公然と後見していた六条御息所母娘でありますから、娘の前斎宮を冷泉帝の後宮に入内させおおっぴらに肩入れさせようという目論見と言うことになります。冷泉帝は父の光源氏に似て絵が大好きというような事でありまして、前斎宮も絵が上手で、いきなり親密度が高まるというふうに描かれております。光源氏が絵がうまいというのは、「末摘花」の巻で紫の上に絵を描いてやるシーンがありますから、実は布石が打ってあったと言うことになります。もし、そのことがこれまで出て来てなかったら、なんだかとってつけたような話なのであります。光源氏の孫に当たる匂の宮が、絵を描いて浮舟をよろこばすと言うことが『宇治十帖』で出て来るはずですが、代々絵が上手という話になるのでありましょう。小説においては、絵が上手というのはそう言ってしまえば良いわけですから簡単ですが、これを映像化すると、その絵を見せなくてはなりませんから、相当力を入れて上手な絵を画面に持ってくる必要があるでしょう。「絵合」の巻は、とても華やかなんですが、これを映像にした時のネックを発見してしまいました。


 『源氏物語』「絵合」の巻を読了しましたが、よく分からないところがいくつかあります。


前斎宮は梅壺の女御と呼ばれるようになっておりますが、この人の絵がうまいので冷泉帝が入りびたるというのが事の発端となっております。弘徽殿の女御のほうでも負けじと絵師を招いて新作の絵を描かせるというようなことになりまして、短期間で宮廷に絵画熱が広まるわけであります。これが物語絵の優劣を競う「絵合」に発展しまして、ついには公式行事のように準備を重ねて催され、判者として源氏の弟である帥の宮(蛍兵部卿の宮)が招かれます。朱雀院は姪の弘徽殿の女御に肩入れしないで、梅壺の女御を応援するんですが、その時に歌のやりとりがありまして、朱雀院が恋情を打ち明けております。これに対して梅壺の女御も返歌しますが、斎宮になった時の櫛の端を折って添えております。


この櫛の端を折るというのが分かりません。


注釈書を見たら、どうも白楽天の『長恨歌』に由来があるそうですが、亡くなった楊貴妃に会いたくて玄宗皇帝は道士を派遣するんですけれども、その道士に楊貴妃が小箱と簪を二つにして片割れを託すのであります。道士から見れば、楊貴妃に会った証しでありますが、愛し合う者同士の再会のアイテムとも言えるわけであります。だとすると、朱雀帝から斎宮になる時貰った櫛を折って贈るというのは、これは尋常ではないわけです。まあ、世の中にはペンダントを半分にして、恋人と分け合うと言うこともあったかも知れませんので、そういうことと理解すればいいのでしょうか。


もう一つ分からないのは、この「絵合」の巻の最後の所に、光源氏の発心と言いますか、出家しようという意志が語られているんですが、ある意味唐突な感じも否めないのであります。骨身に染みた須磨への流謫なんですけれども、その時書いた旅日記が絵合で賞賛を浴びたことが裏にあるのか、と思うのでありますが、作者である紫式部の書き方が淡泊すぎて、光源氏の真意までは不明なのであります。


直前の一年間が空白なのと何か関係があるのかも知れないのですけれども、謎は謎のままです。第17帖「絵合」の巻も、そろそろ切り上げましょう。


岩佐美代子さんという研究者が指摘していたと思うんですが、光源氏は皇族が大好きでありまして、彼の愛する女性は、藤壺にしろ、紫の上にしろ、天皇の娘や天皇の孫娘であるという特色があるのです。よって、光源氏の兄である朱雀院も例外ではなく、皇族は皇族を妻にしたがるのであります。このことが平安時代の特色であるという話であります。『ハリー・ポッター』のなかに、魔法使いの家で生まれた魔法使いしか認めないという、非常に了見の狭い考えが出て来まして、そうすると両親が一般人のいわゆる「マグル」であるハーマイオニーなどは、毛嫌いされてしまうのであります。そう言う考えを「純血主義」と称しまして、マグル生まれを「汚れた血」などと差別するわけでした。ここまで、露わではないのですが、光源氏も朱雀院も、前東宮の娘である前斎宮(梅壺女御)を興味津々に感じているわけで、ドラマの底流に何があるのか、現代の我々には分からないことがたくさんあるようです。


もちろん、前斎宮はばりばりの皇女なんであります。

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