瀬戸内寂聴『源氏物語』を読む(85) 絵日記提出(2) update ver.

現代語で読み進めている『源氏物語』でありますが、第17帖「絵合」の巻の構図を考えます。


まず、藤壺と光源氏の間に生まれて天皇に即位した冷泉帝の時代になっているのであります。「澪標」の巻で、11歳で即位しておりまして、一年とんだ「絵合」の巻では13歳と言うことなのです。かつての頭の中将は今は権中納言でありますが、この人のお嬢さんが入内していて、今は弘徽殿の女御は14歳の可憐な少女に入れ替わっております。このあたりは、実は世間ではもう読まれていない巻々でありまして、うかつに話を読もうと参加するとこんがらかることでしょう。この巻の骨格は三角関係を描く点でありますから、冷泉帝の后妃がもう一人登場いたします。藤壺と光源氏が結託して、前斎宮の入内が行われまして、ここに三角関係が成立いたします。ただし、前斎宮は22歳、冷泉帝は13歳、弘徽殿の女御は14歳ですから、妙なことになっているのであります。


実は前斎宮は、伊勢に赴任する時に当時の朱雀帝が対面していまして、彼女に彼は心を奪われたのであります。これはもう完全な世間で言う一目惚れした状態なのでありまして、伊勢から帰ってきたのを朱雀帝は迎え入れたくて仕方なかったのであります。だから、ここでも三角関係が発生しておりまして、朱雀院34歳、前斎宮22歳、冷泉帝13歳という具合であります。あれあれ、困ったことになりましたねえ。


ということで、両親がすでに亡くなって後見人がいない前斎宮の入内に際しては、悔し涙の朱雀院がたっぷりと贈り物をしまして、その中には「薫衣香」(くのえこう)という、衣裳をたきしめる聞き慣れないお香なんかが、朱雀院の誠意の証しとして加えられております。当時の人なら、「ああ、あれだ」「あの芳しいお香よね」と思うようなものでしょうけれども、現代生活の中では一度も耳にしたことがありません。「蓬生」の巻にちらりと出て来まして、このお香についてはひょっとすると何か秘密が隠れているのかも知れません。


こうやってみてみると、三角関係だらけでありますが、男女のベクトルというのはきれいに三角に収束しないものであります。つまり三角関係は、三角にきれいに収まらずに増殖いたします。誰もが、自分のことを好きな人には興味がわかず、自分が思いを寄せるあの人も誰か別の人を好きだったりするわけです。


どうしてかと言いますと、前斎宮の冷泉帝後宮への入内は、光源氏が朱雀院に対して意地悪しているわけでありまして、一つは朧月夜の内侍をめぐる確執が裏にあるわけです。光源氏は、実は前斎宮には興味津々なんですが、母の六条御息所との約束がありますから、手が出せないどころか、親代わりを装って顔を見ることすらかなわないのでありますから、朱雀院の執着を知れば知るほど、「よもや美貌なのか?」と胸を焦がしているわけです。だとすれば、ここの三角関係は、光源氏31歳、前斎宮22歳、朱雀院34歳、まことに二人の兄弟がうら若い女性を相争う図であります。そしてここにもう一人加わるわけで、前斎宮の冷泉帝へのお輿入れを画策している藤壺は、実は光源氏が前斎宮をものにするのを阻止しているわけでありまして、藤壺36歳、光源氏31歳、前斎宮22歳(その向こうに故六条御息所、享年36)という具合なのであります。生きていれば六条御息所は38でありまして、藤壺はこの人をライバルだと感じていたと思うんですがいかがなものでありましょう。


ままならない世の中と言うことであります。この場合の「世の中」というのは、古典で言うところの男女関係、夫婦関係の意味でございます。ご存じない方は、ぞうぞ辞書をお引き下さい。いやはや。ともかく豪華な「絵合」の巻の話でありまして、『源氏物語』第17帖であります。


「薫衣香」(くのえこう)なんでありますけれども、これがよく分かりません。「分からないなら辞書を引け」って怒られそうでありますが、引いていないわけはなくて、辞書を引いてもニュアンスがよく分からないなあと感じたのであります。小学館の『日本国語大辞典』(第二版)を見ると、「衣服にたきしめる香。甲香、丁子香、沈香、麝香、白檀、その他をまぜて作った練香。くぬえこう。くんえこう。〈季・夏〉」とあるのでありますが、用例としては『宇津保物語』と『源氏物語』「蓬生」の巻があげてありまして、さらに室町時代の『類聚雑要抄』から調合の分量を述べたところがあげてあります。


きっと、絶妙な調合によって、えもいわれぬ香りがするんだろうなあと思うわけでありまして、勝手にうっとりしたりするんでありますが、さてそうしたものなのかどうか。グーグル検索で「薫衣香」を引いてみますと、現在市販されているものは、防虫効果をうたっておりまして、衣類や書籍の虫除けとして売っております。はっきり箪笥用と明記する物もありまして、なるほど実用的なお香だったのです。


入内する前斎宮は、遙か昔に東宮だった父上を亡くし、また最近母上を亡くしまして、光源氏はこっそり後見することに心砕いておりますから、お嫁入りに当たって朱雀院が衣裳も揃えてあげたように読めるわけです。そうすると、その衣裳のための「薫衣香」もまた当然必要なわけで、用意周到な心配りのできる人として朱雀院が描かれているのであります。

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