瀬戸内寂聴『源氏物語』を読む(79) 羨ましきは、関守(1) update ver.
さて、『源氏物語』第16帖「関屋」の巻でありますが、短い短い、現代語訳でも8ページであります。
前の記事を書くときに、「関屋」を18ページなどと書いておりまして、改めて読んだら非常に短いので、計算間違いに気が付きました。巻の終わりのページ数から、巻の初めの1ページ前の数字を引くんですけれども、一ケタ間違えてしまったようであります。あわてて修正をしましたが、根っからの粗忽者であります。講談社刊の単行本の『源氏物語』もすでに第3巻でありまして、「関屋」の巻のお終いのページが217ページ、そして始まりの前の、巻の名前だけが「関屋」とすり込まれたページが209ページ(ただし、ノンブルは付いておりません)ですから、どう考えても8ページなのであります。念のため、岩波書店の新日本古典文学大系で調べてみますと、一行35字で、70行丁度でありますから、2450字あまり、400字詰め原稿用紙で言うと6枚と3行くらいと言うことなのでありまして、「掌小説」と呼んでもいいと思います。小説として成立しているような、いないような微妙な感じであります。
通常「空蝉」と呼ばれる女性の後日談であります。本文では「帚木」と呼んでおりますから、昔の人はそそっかしかったわけで、近代の研究者ももっと大胆に人物呼称を改めてはどうかと思います。光源氏の執着ナンバーワンかも知れない人妻であります。この人を巡る話になると、非常にきめ細やかな筆さばきになりまして、読みごたえは充分にあるのであります。彼女が夫の赴任先である常陸に同行しているうちに、光源氏は落ちぶれたり復活したりしていまして、そのことが再会の時に影を落とすわけです。夫の一族の中には、光源氏と苦楽をともにした側近だった人がおりまして、そういう人の羽振りのいいのを見て、親戚一同はちょっと悩ましいのであります。「明石」「澪標」辺りの巻でも光源氏は随分人の心が当てにならないと痛感していて、トラウマのように須磨に退去した時の人々の冷たい反応を反芻しておりますが、ここでも同じことが出て来ます。
むかし、空蝉の連絡に使っていた小君という少年が成長しておりますが、これを見て不快に思うんだけれどもおくびにも出さないなんて書いてあるんであります。もう、光源氏は昔の光源氏ではないのであります。そういう点で、この小説は浮ついていないと言えるでしょう。人の心が頼みがたくて、言葉というものがいかに裏腹なものか、そういうことがテーマの巻なのであります。手紙は往復し、和歌は贈答されますが、交際が復活することはないのですから、辛口の内容なのです。気になるのは、ここだけが真実というような、空蝉の内面を読んだ独白ふうの歌が出て来るのでありますが、「この歌って、ほんとに、彼女の歌なんだろうか?」というような素朴な疑問が生まれまして、短い巻を適当に切り上げようと思ったんですが、この巻を考えるきっかけがようやく見つかりました。
源氏物語における、歌の「ありよう」というようなものを考えてもいいかもしれません。思いつきですが。
「下手の考え休むに似たり」なんてことを世間では申しますけれども、確かにそういうことはあるわけで、『源氏物語』なんかも、自力で読もうなんて考えた日には、第一帖「桐壺」の巻だって何年かかっても読了しないはずであります。「何事も先達はあらまほしきことなり」というのは、確か『徒然草』のコメントでありましたが、まったくその通りでありまして、自力では右往左往するばかり、そこで瀬戸内寂聴さんの現代語訳に頼ってさっと読んでみようと思ったわけで、我ながらいいことを思い付きました。速読した結果、小説の面白みは味わえるし、問題点も浮かび上がるような気がいたします。
さてさて、『源氏物語』の中でも短いほうである「関屋」の巻の勘所の歌のことを考えます。
「逢坂の関」で常陸から京へと戻って来た空蝉の一行と、石山寺に「願ほどき」に来た光源氏の一行がすれ違うというのが、この巻の冒頭シーンなのであります。「願ほどき」って何だろうと思いまして、原文のほうを見てみますとこれが「願はたし」のことでありますが、注釈書の頭注・脚注を見ると「お礼参り」とあるのであります。石山寺は言うまでもなく近江の国の琵琶湖のほとりにある名刹でありまして、紫式部が『源氏物語』の構想を得たお寺として有名であったわけですが、滋賀県大津市でありまして、何やら最近の不祥事(※たぶんいじめ問題)の舞台の近くでもあります。
これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関
(『後撰集』巻第十五・雑一 1090番 蝉丸
「逢坂の関に庵室を作りて住み侍りけるに行き交ふ人を見て」)
「逢坂の関」を考えるときに、その基本となりますのは、『百人一首』にも入っている、蝉丸の歌でありまして、このことも注釈書の頭注が教えてくれるのであります。対句仕立ての軽妙な歌でありまして、「逢坂の関」の所に「逢ふ」という言葉が掛けてあるだけの歌であります。ただし、対句仕立てというのは、言語表現の基本的な修辞技巧でありますが、ゆめゆめ油断してはいけないことでありましょう。この場合は、「ここ逢坂の関では、別れては逢い、逢っては別れる」ということでありまして、人の往来の頻繁なことを簡略に表現したのであります。また、二句目の所は「地方に行く人も、京の都に帰る人も」ということですが、四句目は「互いに知る人同士も、互いにまったく知らない人同士も」ということでありまして、これらも非常に極端な例を簡略に対句で示しただけですから、理解するときは目的地もばらばらで、ありとある関係の人々が交錯する様を象徴的に描いてみたと受け止めるべきものであります。対句というのは、単にペアになっているだけではなくて、動詞を入れ換えたり、主語や目的語を入れ換えたりして、いろんな状況を想定する必要があります。
行くと来と せきとめがたき 涙をや 絶えぬ清水と 人は見るらむ
(『源氏物語』「関屋」の巻)
しかし、よくよく見てみると、蝉丸の歌と空蝉の歌には、これと指摘できるような共通点がありません。蝉丸の二句目の「行くも帰るも」と、空蝉の初句「行くと来と」の所に同じ動詞の「行く」があると言うだけでありまして、注釈書が言うから間違いないことかと思いましたが、「逢坂の関」を読んだ歌に「行く」一語しか共通点がないのに、その関係性を云々しているのは適切ではないかも知れません。もしかしたら、別に本歌でもなく、影響関係も無いような歌を、さも影響があるとか、「投影している」(小学館・新編全集)などと指摘することが、この空蝉の歌の本質を曇らせているのかも知れません。雰囲気だけ似ていると言ってみたって、よくよく見ればどこも似ていないというのは問題です。
空蝉の歌の初句を解釈するのに、蝉丸の歌を背景にしてしまいますと、それが縁語として用いたのでしかないという重大なことが抜け落ちてしまうようであります。注釈書の頭注・脚注は、「誰がどこへ行く」のか、「誰がどこへ来る」のか、という蝉丸の歌を背景にした解釈に囚われておりまして、事の本質を見失っているようであります。この歌の肝心なところは、「関」を主題として詠んだ歌ではないということ、あるいは「関の清水」に関する縁語仕立ての歌であって主題は「塞き止めがたき涙」である、という点を明確にする必要があるのでありましょう。「誰がどこへ」ということを、具体的に考えたことが失敗でありまして、古注釈以来の頑迷な解釈をそのまま繰り返す頭注というのは、レベルの低さを疑っていいのかも知れないのであります。
その巻の一番肝心な歌の解釈をすべっていたのでは、すべてが台無しでありましょう。涙がこんこんと湧き出る関の清水のごとく出ます。
似てもいぬ 歌を指摘の 注釈を 懲りぬ仕業と 人は見るらむ
(粗忽)
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