瀬戸内寂聴『源氏物語』を読む(73) 早蕨の萌え出る春(1) update ver.

二ヶ月近く『源氏物語』を現代語で読んでおりますが、第15帖「蓬生」、第16帖「関屋」、両巻読了です。


講談社から出た全10巻の『源氏物語』を読み進めておりますが、訳したのは瀬戸内寂聴さんです。このシリーズは、造本が非常に優れていて、活字も大きく、しかも紙質とか印刷の具合が非常に適切なので、読むのが非常に楽なのであります。一帖当たりはだいたい70ページくらいに収まっておりまして、黙読すれば30分くらいのことでありまして、別に精読するわけではなく、見開きのページを眺めるように速読しているのであります。あとでブログの記事を書く際には、付箋紙を持って気になるところに貼り付けながら読み返しておりますが、それでも小説を読む楽しみが味わえるのであります。


今回の二帖はどちらも短編でありまして、「蓬生」は30ページ、「関屋」は8ページでありますから、併せても他の巻の分量に届かないのであります。読むと、あっという間の短い読書ということなのです。


「蓬生」の巻は、主人公が末摘花でありまして、やはり末摘花が出て来ると話が精彩を帯びまして、非常に面白く感じるのであります。光源氏にひょんな事から世話を受けた末摘花でありますが、光源氏が須磨へ退去して以降は忘れ去られまして、そのままになってしまったと言うところから話が始まります。不遇の女性がどのようにおとしめられて行くのかということが、丁寧に丁寧に書かれておりまして、もし末摘花を演技する上手な女優さんが出て来ましたら、演出次第では、ひょっとすると涙をそそられてしまうかも知れないのであります。


そして、結論だけをいえば、例の花散里という不自然な登場を遂げた妻というのは、やはり末摘花でありまして、「須磨」「明石」の巻の雰囲気を壊さないために、わざと無個性な妻である花散里にすり替えたようであります。このことは、『源氏物語』の成立論などを考える際には非常に問題になるはずなんですが、そういうことをとんと聞いたことがなかったように思います。すでに誰かが立論していたり指摘しているなら大いに結構ですが、もしそうでないならこの指摘は大変な手柄かも知れません。


誰も言わないでしょうから、改めて言ってみますが、末摘花と花散里は同一人物をむりやり二人にしたものでありまして、このことは当たっていれば大手柄ということです。おそらく、花散里は末摘花のクローンであり、だから前に出て来た花散里の姉君に至っては、もはや張りぼてのように無個性だったのであります。証拠は後でじっくりと検討することにして、二つの巻をのんびり、のんびり読み進めて参りましょう。


さて、現代語訳の『源氏物語』を読み進めていますが、第15帖「蓬生」の巻でありますが、短い巻ではありますけれど、これこそ佳作です。


これだけリアリズムと言いますか、現実感のある小説を書くというのがすごいことでありまして、この『源氏物語』という作品に関して、どうやらイメージを変更したくなって参りました。通常世間では本文に即した梗概を巻頭に据えまして、これでもかこれでもかと注釈者の蘊蓄が披露されるんですが、例の六条御息所の年齢表記の問題をみてみたら、そんなものは江戸時代の北村季吟の『源氏物語湖月抄』のほうが数段問題意識が上でありまして、近代の注釈はずるずる後退しているようなのであります。


実は、岩波の日本古典文学大系の古い方を見てみましたら、例の六条御息所の年齢の箇所についてはまったく何も述べていないわけで、あの頭注を書いた人はなんの矛盾もなく理解を示していたわけであります。原作者がわざわざ年齢を表記したのだから、それなりのインパクトがあるわけで、そのことに思い至らないで、巻頭の「桐壺」の巻と矛盾するなどというたわごとを、よくまあ言えたものであります。だとすれば、他にも同じように無益な頭注が増えていないかどうか、警戒して損はないことでしょう。


玉鬘後記説というのは、武田宗俊さんという方が発表したもので、おそらく『源氏物語』を深く読み込むことに非常に有益なのでありますが、たぶんこの方はドイツ語が専門で福島大学の先生だったかも知れません。後に青山学院におられたように記憶するんですが、要するに国文学の専門家ではないところから、目の覚めるような成立論が登場して、大向こうをうならせたはずなのであります。ウィキペディアには詳しい整理がなされていますけれども、古注に同じような指摘があり、阿部秋生・池田亀鑑・大野晋といった碩学が同様の説を唱えていまして、そう簡単に武田宗俊説は崩せないのであります。


そうか、武田説をめぐっての生々しすぎるやりとりを耳にしてしまったために、何となく敬遠していたんですが、ここまで来たら武田説を読んでみるのもいいのかも知れませんね。生々しいやりとりというのは、武田説を適当にあしらったことによって、研究自体がものすごく沈滞したとか、とある出版社がこっそり自分の所から武田宗俊さんの本を出したために、再版することが出来なくなってしまったのだとか、そういう雑音のことであります。成立の順番というのはあくまで仮説でありますけれども、仮説を実証するような同時代証言や決定的証拠はまったくないのではなかったかと思います。ただ、今でも無視できないんだから、今後も無視することは不可能でありましょう。


このことは、人文系の学問の面白い問題ですから、だれかジャーナリストが取材して書いてみても面白いんじゃないでしょうか。『絶対音感』を書いた最相葉月さんなんかが扱ってくれたら、非常に有益な読み物が出来るのだろうと思いますが、それは門外漢の岡目八目でありましょう。現代語訳を楽しみで読んで、あれこれ勝手なことを思うのは楽しいものであります。

                     

言うなれば、「大空のおびただしい星影を盥の僅かな水に映してわが物にしたような、身に余る思い」ってことか。「盥」は、「たらい」と読むものであります。『岩波古語辞典』によると、「手洗ひ」が語源じゃないのかということです。そうかもね。

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