瀬戸内寂聴『源氏物語』を読む(71) 浦より遠方に漕ぐ舟の(4) update ver.
み熊野の 浦より遠方に 漕ぐ船の 我をばよそに 隔てつるかな
(『新古今集』巻第11・恋歌1・1048)※「遠方」は「をち」。
『源氏物語』が本当はいつ出来たのか、あんまりはっきりした証拠が無いのでしょうけれども、藤原彰子が一条天皇に嫁したのが長保元(999)年11月1日でありまして、寛弘5年(1008)9月11日に敦成親王を出産しますけれども、この間のどこかで成立して、出産後に親王を見に一条天皇がおいでの時に全巻清書本をお土産に持たせたような話でありました。しかし、これだけ有名な物語なのに、同時代の人に『源氏物語』の噂があんまり無くて、『更級日記』の作者がおばさんからプレゼントされた「五十余巻」くらいが手がかりでありまして、だとしたら衆人環視の晴の場で発表して、誰もが知っていたと言うことではないかと思います。ちょっとずつ世間に漏れたのなら、相当話題であったでしょうけれど、日を決めて天皇・中宮の御前で発表するくらいの事でないと、同時代の証言がない理由は付かないことでしょう。
さて、もし晴れの場で披露されていたんだとしますと、主立った人は耳にしたわけでありまして、昔のテレビと同じで1回こっきりの視聴ということであります。週刊漫画にコミック版が後で出たり、テレビ放送されたものがDVDになってレンタルされているなどという現代からは想像付きませんが、テレビ放送が開始されてまもなくの昔のテレビは、本放送で見るだけが基本でありまして、もう一回見ることが出来るとは誰も思っていなかったかも知れません。
『源氏物語』第14帖「澪標」の巻で、光源氏は明石の赤ちゃんに乳母を派遣しまして、我が子と認知しております。明石の上からは返事の手紙が来まして、それを光源氏は堂々と読みまして、これ見よがしに紫の上の前でため息をついたりするのであります。嫉妬の気持ちが抑えられない紫の上が口ずさんだのが上に紹介した「み熊野の」という歌でありまして、原文では「浦より遠方に漕ぐ船の」となっていて引歌の体裁であります。それで当時の人が分かったかというと、そうそう分かるわけありませんから、ひょっとすると歌全体を朗読者のバックで若い女房たちなどがフルコーラス歌ったかも知れません。勅撰集としての入集は『新古今集』になってからですが、もとは伊勢という有名な女流歌人の歌であります。伊勢の歌で有名なのは、『百人一首』にも選ばれた次の歌ですが、『新古今集』では二首が並んで出ておりました。
み熊野の 浦より遠方に 漕ぐ船の 我をばよそに 隔てつるかな
(『新古今集』巻第11・恋歌1・1048)
難波潟 短き蘆の ふしのまも 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
(『新古今集』巻第11・恋歌1・1049)
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