瀬戸内寂聴『源氏物語』を読む(70) 浦より遠方に漕ぐ舟の(3) update ver.

瀬戸内寂聴さんの現代語訳『源氏物語』(講談社)で「澪標」の巻に到達いたしました。第14帖に当たります。


第3巻の131ページから176ページまでありまして、131ページは「澪標」と巻の名前が真ん中にあるだけですので、正味は45ページ、一巻の分量としては少ない方だと思うんですが、あまりすらすらと読み進めることが出来ません。原文を400字詰め原稿用紙に直しても、たぶん40枚を超えるくらいのものだと思いますから、短いのでありまして、短い割には長く感じるような所がありまして、散漫なのであります。ただし、読んでいると面白く感じるところも少なくないのであります。明石で女児が生まれまして、占いに寄れば后になるはずの人ですから、光源氏は乳母を都から送り込む算段をいたします。事情は書き込まれておりませんが、参議の娘で両親に先立たれた上に、あまり幸福な状態でなく出産したばかりという女性が登場しまして、この人を光源氏が言い含めて明石に派遣するんであります。このときにちょっとこの女性を慰めてあげるようでありまして、そうして置いてはじめて信頼関係が構築されるのかということで、大人なら理解するでしょうけれども、学校で教えてはいけない事であります。


普通の日本語で言うと、その女性はお情けを頂戴したんであります。


それから、赤ちゃんが生まれちゃいましたので、紫の上に報告するんでありますが、ここで初めて紫の上の内面が出て来るのではないでしょうか。世間では『源氏物語』のヒロインは、この人「紫の上」と言うことになっておりますから、そう言うつもりで読んでしまうと、まあ一時の夫の過ちだから心の寛いヒロインは落ち着いているなあ、という印象のはずなんですが、実はそうではありません。まったく違います。「若紫」の巻の冒頭をちゃんと読んだら、この小説の本命のヒロインは明石の上に決まってまして、紫の上は当て馬なのであります。ここのところは、「当て馬」の意味も含めて『源氏物語』ファンの反発を食うことは間違いありませんから、あくまでも注意しておきたいと思いますが、ここまで普通に小説として読んできたら紫の上はけっして本命ではないことくらい分かるはずであります。


えらそうに書いておりますが、私だってついさっきまで紫の上がヒロインだよなと思っていたんですが、本当のヒロインは明石の上のはずなんです。はっきり言いますが、『源氏物語』の主役は、明石一族の娘である明石の上に決まっております。スネ夫のお母さんなら、案外女子大の国文科を出ていたりしますので、「当たり前ざんしょ」「ちゃんと読まないと駄目なんざます」と言うはずでありましょう。ジャイアンの母ちゃんは、上級学校とは無縁ですから、おそらく『源氏物語』を知りません。抗議するのは、ちょうどのび太のママくらいの教養の人かも知れませんね。中途半端に教養がある人であります。


紫の上は、明石の上という寵愛の妾に釣り合うだけのよくできた妻の立場として構築された人格であります。だから、この人は、嫉妬の炎を燃やして光源氏を困らせる奥様でなければならないわけなのであります。ちゃんと嫉妬するからいいのであって、そうじゃないと葵の上の二の舞なんですね。自分の好みの明石の上と、自分を好きで好きでしかたない紫の上、という三角関係であります。ここに来てようやく光源氏は自分を頼りに頼る妻妾に囲まれるわけでありまして、それこそ彼に本当の家族ができはじめたと言うことなのであります。


しかし、ふくれっ面の紫の上は恐いことでありましょう。たぶんこの時紫の上の御前には、子供時代から連れ添っている「犬君」(いぬき)がまだいるはずなんですが、彼女は紫の上が恐いことをよく知っていたと思います。犬君に、びしばし八つ当たりしそうですね。光源氏が紫の上を初めて見た場面を思い起こすといいでしょう。ペットを犬君にいたずらされて取り逃がし、泣いて走ってチクリに来た紫の上をおばあちゃんがなだめておりました。そんな醜態を光源氏は最初に見たのでした。そんなのは、姫君ではなくて単なる山猿であります。


「あの時雀の子を逃がしたのはお前よ」「だから私は源氏の君に軽んじられているんだわ」「許さない許さない」というように、時々責めることでしょう。


 先日新聞を見ておりましたら、離婚歴3回の男性の投書による相談でありまして、「どうも婚活がうまく行かないのだが、どうしたらいいか」という困りごとのようでした。結婚したい理由は、老後が寂しいからというもので、離婚歴を知って拒まれているのがつらいと言うことなのです。これは讀賣新聞の人生相談欄でありまして、回答者がたくさん用意されていて、その中から我と思わん回答者が名乗りを上げてじっくりと考慮して返事を書くようでありまして、その時の解答の切り口は、「あなた様はご自身の幸福を考えているようだが、結婚は相手を幸福にすることが大切なんですよ」という指摘であります。なるほど、それはそれは、鳥肌が立つような切れ味でありました。


離婚歴が3回もあって、それでも結婚によって幸福を求めているわけですから、魅力的な職業についておられて、充分なる資産、有り余る才能、誰が聞いてもほれぼれする学歴、立派な係累をきっとお持ちなのです。今まで三人の女性がそれにつられて結婚したわけで、バツイチでも、バツニでも結婚できたんですから、向かうところ敵なしの方だったのであります。そんな立派な方が、「相手を幸福にするのが結婚ですよ」と言うようなトリックめいた詭弁に納得するのかどうかは別として、うまいところを突いたなあと思うのであります。自分はどうなのか。私の場合は離婚を持ち出すと、相手を選んだ自分の失敗を世間に認めるような気がして悔しいし、仮に再婚したとして、新たな相手に自分の性格だとか好みだとか嫌いなものをいちいちレクチャーするのが面倒な気がいたします。だいたい、人生の伴侶は結婚してから体型が変わり、性格が変わり、食事や服装の本人の好みも変りまして、時々若い日を思い起こして「隣にいるこの人はまったく別人だなあ」と思います。よって、すでに離婚を3度して4度結婚したような気がするのであります。そうなると、ある意味常に新鮮でありますから、わざわざ離婚するまでもないのであります。


そういえば、小林一茶などは何度も結婚しておりますね。『北越雪譜』の筆者であった鈴木牧之も同じだとか。


岩波書店が発行している岩波文庫のコーナーを書店でちょっと前に覗きましたら、無料で『古典のすすめ』という文庫サイズのエッセイ集が配本されていまして、有り難く頂戴して帰って参りました。その巻頭は、「『北越雪譜』―見えたもの、聞こえたものの世界」と題して、大室幹雄さんが面白いことをたくさん教えてくれまして、『北越雪譜』とその著者鈴木牧之の秘密をいろいろと知ることが出来ました。楽しいのは、子供の時に欲しい本があってそれを手に入れるまでの努力と、両親の応対の仕方でありまして、好奇心に溢れる賢い子供を得た親たちの気持ちが何だかとても人間的であります。さらに、『北越雪譜』が大層なベストセラーであったことや、それがどうやら、山東京伝の筆が加わって洗練された文体に仕上がったことによるのかも知れない、と言う指摘があって、ちょっと目から鱗が落ちるありさまであります。何度も結婚しているというのも、虚を突かれるようなことでありまして、興味のある方は書店へ走ってもらってくるのがいいでしょう。2012年のことですから、今はもう無いと思います。


『源氏物語』の第14帖「澪標」の巻は、大人になってからの私生活充実のための方策のようであります。


光源氏は親の世代の政争の具にされて、無理やり葵の上や六条御息所をあてがわれたのであります。このことは少し前に、本居宣長の『手枕』を読んでみて確信したわけですが、この妻妾は実は兄の朱雀帝の后妃であるべき女性たちでありました。親の世代がむりやり光源氏に押し付けた女性たちのはずなんです。このことは、誰も言っていないことなら大手柄でありますが、そんなこともないだろうと思うのです。近代の研究者が言わなくたって、江戸時代の人は指摘していることでしょう。やはり千年前の小説でありますから、あまりにも当たり前なことは書かないわけで、常識に近いことをどこかで確実に把握しないとなかなか歯が立たないところがあるのであります。光源氏の女性遍歴というのは、そうした政略結婚、要するに「宛がい扶持(あてがいぶち)」に対する抵抗でありまして、彼は彼なりにチャンスを見逃さなかったと言うことなのです。好機を逃さないと言うことは、相手にも充分伝わりまして、そのことが家庭生活の節々に色を添え、楽しみを増し、私生活の充実をもたらすのは古代でも現代でもまったく同じはずなのであります。



だとすると、紫の上が大人になる過程で、彼女は自分の幸運というか、自分が好きな男から気に入ってもらって選ばれた女性としての幸福をかみしめたはずなのであります。光源氏が須磨に退去する際には、実の父兵部卿の宮の冷淡さと、その北の方の継母らしい冷酷さを身に染みて感じたはずで、彼女の未来は夫の浮沈にかかっていることを嫌と言うほど実感したはずであります。「逢えない時間が愛育てるのさ目をつぶれば君がいる」というのは郷ひろみさんの『よろしく哀愁』(昭和49年・1974年)のフレーズでありますが、安井かずみさんの歌詞は冴えに冴えていて、それに筒美京平さんが曲を担当しましたけれども、イントロから見事なものでありまして、歌詞と楽曲のよさからこの曲は売れたのであります。「須磨」「明石」の巻は、基本的には光源氏の動向ばかりを描いておりましたけれども、当時の読者の主力であった宮廷女房たちは、都にいる紫の上の気持ちになってこれを読んでしまったんでありましょう。作者の紫式部と読者の宮廷女房たちの間に大きなずれが生じまして、紫の上の持つ明石の上や夫に対する嫉妬の炎は、まるで望ましいもの、当然のもの、許されるべきものとして享受されてしまったことでしょう。これは、作者からすると期待した反応とはたぶん違うんであります。上から目線で嫉妬する紫の上は、ちょっと嫌な奥さんでありまして、「山猿のくせに生意気よね」「甘いのよこの人」というような反応を作者の紫式部は計算していたんでありましょう。作者の狙いとしては、嫉妬する妻、嫉妬におびえる妾というバランスの中で、光源氏の舵取りを見せたかったのでしょう。


連続ドラマなどの場合にも、同じような計算違いはしばしばあることでしょう。あとあと問題を引き起こします。

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