瀬戸内寂聴『源氏物語』を読む(68) 浦より遠方に漕ぐ舟の(1) update ver.
現代語で『源氏物語』を読んでおりますが、第14帖「澪標」の巻を読了しました。4分の1まで来ました。
所々面白いのでありますが、一巻として完結したところがありませんから、イメージが結びにくいような気がいたします。何となく須磨に留謫(るたく)したあとの後始末編でありまして、政界に復帰して官位が元通り、むしろ出世が期待される状況なんですが、私生活では明石入道の姫君との浮気がありましたので、てんやわんやなのであります。正妻格になっている紫の上に事情を話さねばならず、一方浮気相手の姫君の方は出産しますけれども、赤ちゃんの顔を見に行くこともままならないありさまで、表向きとは違って、こちらは火の車状態でありましょう。こんな駄目男を世間があがめているのがどうもおかしいと思うような、実は辛辣な内容なのであります。
『源氏物語』を世間で語る時も同じでありまして、優雅な王朝絵巻ですよというような嘘八百で固めてしまいがちです。光源氏も貴公子の典型みたいに言うんですが、現在なら表舞台には立てない人格ですよね。
どうやら、この第14帖のあたりで長編小説としての方向が定まったようでありまして、一巻で完結させるという意欲が低下したようでありまして、だとすれば第10帖あたりまでが第1シーズンで、そこは相当無理をして面白くしたのでありましょう。第11帖あたりから第2シーズンなんですが、ここは無理をしないで刺激を小さくするように手法を改めているようであります。現代でもそうですが、人気が沸騰しますと、それまでのお話を整理して原作者の手法を検討する議論などが巻き起こりますから、次にどうなるか、この人物の造形はこれでいいのか、あんな事書いて許さない、よくも殺したわね、などといろんな雑音も生じるものであります。
ここで考えるべきなのは、本命中の本命である明石の姫君「明石の上」と、実は本来脇役だったかも知れない兵部卿の宮の姫君「紫の上」の位置関係が大丈夫なのかと言うこと。それから怪しいのは、どうも都合によって同一人物を二人にしてしまったと疑わしい、花散里と末摘花の関係であります。朧月夜に対する朱雀帝の執着というのもありまして、朧月夜は光源氏が好きですから、ここも三角関係なのであります。原作者紫式部の構想力が、どうやら三角関係を軸にして人物を対置するようだと見えて来ました。そう考えてみると、この巻は怨念だらけでありまして、みんな物の怪になっているのであります。恐い。怖いんですが、人間関係、特に男女の関係というのは、基本は三角関係もしくは三角にさえ終息しない関係かもしれません。好きな人と好いてくれている人は別ということが普通であります。だから、相思相愛にあこがれるのは子供ですよ。当たり前なんですが、紫式部はそのことを前提にして小説を書いているだけなんでしょうね。
瀬戸内寂聴さんの現代語訳『源氏物語』(講談社)第3巻の真ん中「澪標」の巻を読了です。
本当に光源氏が朱雀帝の勅勘をこうむっていたとして、その場面というのが見当たらないのではないでしょうか。朱雀帝は母の弘徽殿の女御やら祖父の大臣の言いなりになっていたという所はありますから、本心からではなく処罰を下したのかも知れません。このあたりの政治的な動向がもう一つ鮮明でないために、これまでは読みながらぼんやりしてしまうような気がいたしました。この「澪標」の巻になって、冒頭から政治的な動きが書き込まれてきまして、今までとは趣が違うような気がいたします。桐壺帝の追善法要である法華八講を28歳の10月に催した段階で、光源氏は完全復帰を果たしたわけで、世の中はころりと光源氏のものになって行くのであります。
今の世の中もそんなものでありまして、栄枯盛衰は激しいのであります。人気のある芸能人も、スポーツも、スイーツも、大学も会社も、どんどん入れ替わりまして、栄花を極めたと思ったらいつの間にか見なくなるのでありましょう。
朱雀帝というのは光源氏の兄上ですが、母方の祖父の大臣は前年に亡くなりまして、さらには母の弘徽殿の女御が病気がちとあって、朱雀帝は譲位を決意します。結局、冷泉帝とその後ろ盾である光源氏に権力が委譲されまして、世の中が落ち着くというような塩梅になるのであります。『源氏物語』の冒頭で何となく示唆されていましたが、桐壺帝のデザインした通りの世の中になるようでありまして、弘徽殿の女御の一派がどういう存在として権力を握ったのか、悪辣な手段を駆使したはずですが、その辺の機微をこの小説は明らかにしてくれないのであります。
あっけなく退場するところを見ると、別に悪辣な手段を使ったわけでもなく、有能でかつ運がよかったとも言えそうです。
ともかく、光源氏は大臣の一角である内大臣の地位を占め、次なる手は娘を時代の天皇の后妃にすることなのでありますが、彼には夕霧という男子以外子供が出来ませんので、実は非常に行き詰まるわけです。行き詰まっているはずなのに、この小説ではこのあたりの政治的な悩みがしっかりと描かれないために、何となく小説として深みがないのであります。六条御息所には出産の兆しがありませんでしたし、紫の上とも花散里とも子供が出来そうにありませんので、そうなると懐妊している明石の上の存在は頼もしいばかりのはずであります。
この小説は、当時の常識がないと、実際に進行している問題が見えてこない恨みがあるのであります。当然と言えば当然ですが、1000年の時の流れは無視できなくて、あれこれ知識を蓄えないと理解不能な箇所が多いものなのです。
コメント
コメントを投稿