瀬戸内寂聴『源氏物語』を読む(66) 清き渚に貝や拾はむ(3) update ver.
「催馬楽」とは何なのかということを考えても分かりませんから、小西甚一さんの解説を引用します。
催馬楽とは、雅楽ふうに編曲された民謡のことである。もともと風俗歌だった歌謡を、外来音楽である雅楽の曲調に当てはめたもので、律と呂に分かれるのは、そのためにほかならない。まあ黒田節の類と思って下さればよろしい。黒田節は、雅楽「越天楽」のメロディによって編曲したものだから、二十巻本『倭名類聚抄』に、催馬楽と雅楽との対応が詳しく見える。少し抄出すると、
桜人……地久楽の破 美濃山……地久楽の急 高山……放鷹楽 酒を飲べて……胡徳楽
田中……胡徳楽の破 高砂……長生楽の破 伊勢の海……拾翠楽 庭に生ふる……喜春楽
などのごとくで、どこまで雅楽の曲と一致するかは確かではないけれど、だいたいはそれぞれの曲に基づいた編曲だったと認めてよい。(岩波古典大系『古代歌謡集』・催馬楽の解説から)
これで分かったのは、黒田節のあのメロディーが実は雅楽の旋律だったと言うことであります。
そうすると、今で言うとこれはクラッシックの有名な一節に歌詞を当てはめて歌うようなものでありまして、たまに大ヒットを生み出すことがあったりします。要するに雅楽に馴染んでしまった貴族なんかが、酒の席なんかで俗謡を当てはめまして受けに受けたというようなことが繰り返されて、やがて曲調と歌詞がぴったりなものが生き残り、多少は固定化されて伝統となったんでありましょう。歌詞を見ると平易なものばかりですから、これが廃れたと言うことは、室町時代に朝廷が雲散霧消しかけて、雅楽を聞く機会がなくなり、パロディとして成立しなくなったと考えればいいのでありましょう。あるいは、もっと人気のある歌謡が流行れば、古くさいものは役割を終えたのかも知れないと言うことであります。ともかく、小西甚一さんの要領のいい説明によって、催馬楽というものが不勉強な私にも少し分かりまして、これをもとに『源氏物語』の場面を読み解けばいいと言うことが分かりました。
平原綾香さんのデビューシングル『Jupiter』(ジュピター)というのは、イギリスの作曲家・ホルスト(G. Holst)の組曲「惑星」の第4曲「木星 快楽をもたらす者」 (Jupiter,the bringer of Jollity) を原曲としたものだったというのは有名なことでありますが、歌謡曲がヒットすると原曲ももてはやされるわけで、異なる文化というものの衝突と融和という点でそそられるところがあります。それにしても思い出したのは、Windows98のパソコンに平原綾香さんの歌なんかをダウンロードしていたのに、パソコンがダメになったときにデータの移し替えをしていませんでしたので、最近聞いていなかったことに気付きました。女子十二楽坊とか、テレサ・テンとか、一時はまったものが消滅していて忘れていたんであります。室町時代にも、同じような記憶媒体のクラッシュがあったと言うことでありますね。……あくまでもたとえであります。
伊勢の海 拾翠楽 拍子八
伊勢の海の 清き渚に しほがひに なのりそや摘まむ 貝や拾はむや 玉や拾はむや
古説「たまもひろはむ かひもひろはむ」
伊世乃宇美乃 支与岐名支左尓 之保加比尓 名乃利曾也川末牟 加比也比呂波牟也 多末也比呂波牟也
古説 太万毛比呂波无 加比毛比呂波无
問題なのは、「拾翠楽」というのがよく分からないわけですけれども、分からないまま放置するのはつまらないことですから、ここに示した歌詞を黒田節、あるいはホルストの「木星」の旋律に無理やり乗せてみますと、どういうものかだいたい見当が付くのであります。見当を付けたところで、YouTubeに宮内庁楽部の「雅楽 黄鐘朝 拾翠楽」を見つけましたので、何度か歌ってみましたが、テンポがテンポですから難しいものがあります。修練の甲斐があって上手に歌えるようになりましたら、YouTubeにアップしてみたいものであります。えっ、アップの仕方が分かるのかっておっしゃいますか? もうすでにこのブログとタイアップした映像をいくつかアップしてありますから、お任せ下さい。郷ひろみさんに匹敵すると言われた美声で、「伊勢の海」をいつの日か披露してみたく思います。……冗談はさておき、「拾翠楽」についてはYouTubeに解説がちょっとだけありまして、承和年間(834~847)に作られたとありますから、日本で作られたもののようであります。「じゅすいらく」と読むようでありますが、作曲者には諸説あるようで私の手に負えるものではありません。「伊勢の海」の歌詞については、小西甚一さんの頭注が参考になりますが、「しほがひ」は「潮が間に」の意味、「なのりそ」は海藻のホンダワラ、「玉」は海岸によく見られる美しい小石のことだと出ております。
『源氏物語』第13帖「明石」の巻では、明石の入道が箏(しょう)の琴で曲を弾いておりますが、おそらくそこで演奏しているのが拾翠楽でありまして、お付きの人に「伊勢の海」を歌わせるんですが、光源氏も時々唱和したとあるのであります。須磨に退去して波の音を聞いて過ごしてきたわけですが、とんでもない暴風雨にさらされて困っていたところで明石の入道が登場しまして、その邸に招かれ、ようやく生活が落ち着いたところで物語の中に音楽が登場いたします。それが都でも聞けないようなハイレベルな音楽だと言うことですから、文章だけなら想像するしかないわけです。『源氏物語』が、単に読み物として流布したのではなく、巻ごとに宮中で披露する場があったのではないかという妄想を何度か書きました。もし本当にそうした場があったなら、きっと実際の披露の際には、別室に楽師を並べまして、『源氏物語』の場面の推移に合わせてBGMを流したのかも知れません。そうしておいて、本文の朗読は明石の入道の問わず語りになりますので、その間中、ひそやかにバックに音楽が流れ続けたことでしょう。現代の我々が思っているよりも、当時の披露のあり方はメディアミックスだったかもしれないなあと思うわけです。
思うだけでありまして、証拠も何も何一つありませんから、真に受けないように願います。ただ、藤原道長が紫式部の部屋に来て、「続きはないのかい」と家探しして、書きかけの原稿を持って行ったというような話を見ると、披露の場があって集団で享受していたために、道長が抜け駆けを企んだように思われるのであります。
コメント
コメントを投稿