瀬戸内寂聴『源氏物語』を読む(102) 而して風の力蓋し寡し(4) update ver.
現代語で『源氏物語』を楽しんでおりますが、第21帖「乙女」の巻はこれは文句なく面白い。
内大臣は、姉の葵の上の忘れ形見である夕霧に笛を渡しまして、その笛に合わせて催馬楽を歌ったりして、これは非常にご機嫌なのであります。「湯漬けや果物などをお夜食に召し上がり」まして、このままなら完璧な夜だったんでありますが、そこでハプニングが起きるんであります。内大臣も光源氏に負けない艶聞家でありますから、母の大宮の邸に仕える女房の中に、愛人がいるんであります。帰るそぶりをしながら、その愛人の部屋に忍び込むんでありますが、そこで自分の噂話をしているのをふと耳にしたとあります。今時の核家族の住宅とは違いまして、人の出入りは盛んでありまして、お勤めしている女房の結婚相手だって夜になれば通ってきますから、まさか内大臣が忍んでいるとは思わずにいると言うことなんです。
どうやら、内大臣は知らないらしい。子供のことなんか全然分かってないわね。なんてことを宵の徒然にひそひとおしゃべりしているのであります。というか、もはや女房の陰口ですから、自分にまつわる不都合な真実だと口調で分かっちゃうと言うことなんであります。「しまった。夕霧と雲居雁はできておったのか」というようなことでありまして、自分の振る舞いなんかそっちのけで、この人はカンカンに怒り出します。
時流におもねることをしないで光源氏と付き合っていたからこその内大臣でありますが、だとすれば相当の堅物でありまして、考えて見れば葵の上だってカチカチの堅物だったわけで、この一家は優秀なんだけれども、人間関係においては柔軟性を欠くところがあるんであります。いとこだから結婚は可能だが、これはつまらん縁組みだ、というような感想でありまして、内大臣は12歳の男の子と14歳の女の子のカップルを引き離しにかかるわけであります。
あけすけにネタバレを書いているようでありますが、読んでみれば分かるように、ネタバレしていたって断然面白い巻なのであります。
さて、降って湧いたようないとこ同士の恋愛に、今をときめく内大臣は激怒いたします。12歳の夕霧というのは、これは数え年の年齢ですから実は10歳ちょっとの少年なのであります。こちらの方がおませでありまして、彼は積極的にいとこの女の子が好きなのであります。14歳の雲居雁というのは、これは今なら12歳ちょっとでありますから、お姉さんのはずなんですが、こちらはぼんやりとしたお嬢さんなのであります。だからこそ二人は何となく上手くいっていたわけで、ぼんやりした洟垂れ小僧と、恋愛に憧れるお年頃の姫君なら成立しない関係であります。
分かりやすく言うと、頭が良くて誠実で思い込みの激しい小学五年生と、おっとりしてぼんやりほんのり構えている中学一年生のカップルでありまして、恋愛がどの程度進んでいるのかも、よく分からないくらいのことなんです。年齢からしても、騒ぎ立てなければ、一過性の熱が出て終わりというようなものだったかもしれません。それぞれに何か打ち込めるいいものを与えたら、今ならスポーツとか映画とかアイドルの追っかけとかですが、何かに熱中してすぐに雲散霧消する恋愛であります。
これを、離婚して妻に見捨てられた父親のくせに、娘をおばあちゃんに預けて放置していたというような手抜かりがあるにもかかわらず、内大臣が激怒して叱ります。もうちょっと分別ある態度であったらよかったのでしょうけれど、思わぬ嵐にもみくちゃとなったものですから、純情な少年は奮起してしまいまして、彼女のことは渡すもんかと頑張るんであります。こうなると、『源氏物語』の主人公はもはや光源氏なんかじゃありません。可憐な乙女を前にして、男気を発揮する夕霧こそが主人公にふさわしいのであります。
第3シーズンは思いもしないところから主役が飛び出しました。果敢な夕霧少年が、読者の手に汗をしとどに握らせるのであります。
それもこれも、光源氏が夕霧を六位に留めたことが響いてきてしまいます。要するに、元服して殿上人なら、これはもう一人前の男子でありますから、結婚だって夢じゃなかったんであります。ところが、彼は大臣家の子息としては劣等生の烙印を押された「六位風情」でありますので、結婚も何もありゃしない、可憐な花を枯らす悪い虫のような扱いとなるのであります。勉強させようと思って光源氏が六位に留めたことが、微妙に作用して内大臣から夕霧への差別につながりまして、事はもつれにもつれた状態になるのです。
作者・紫式部の計算がはまっておりまして、貴族社会の上流家庭の問題点をあぶり出して、その膠着した状況を手に取るように描いているのであります。とても昔のこととは思われないわけで、現代にだって通用しそうな脚本でありましょう。さてさて、『源氏物語』の第21帖「乙女」の巻の後半は、こんな状況の中とんでもない浪費が語られるのであります。
失意の夕霧の傍らで、今や政務を内大臣に譲って楽隠居のようになった光源氏は、いつの間にか34歳になっておりまして、従来の二条院が手狭になっているのでありましょう。とくに、中宮となった梅壺女御(前斎宮)の里下がりの宿としても不十分のはずで、理屈はあれこれ書いてあるんですが、要するに太政大臣の職にくっついてくる俸給の始末が付かないのであります。そこで考えついたのは、梅壺女御の実家があった六条邸の敷地を拡大しまして、そこに通常の四倍くらいの巨大な邸宅を構えようと考えるのであります。散財するくらいしか、思いつかない富裕層となった光源氏の現実であります。
この六条京極にある六条邸のモデルは、もちろん源融の河原院であります。源融というのは、嵯峨天皇の皇子でありまして、臣籍に降下しまして源氏となり、左大臣まで出世した人でありますが、鴨川に近い六条あたりに広大な邸宅を営みまして、海水を庭に運ばせまして塩焼を実際にして見せたという逸話が残っております。この人は、陽成天皇が廃帝となった時に皇位継承に名乗りを上げたという話もあり、死後には幽霊となって河原院に出現し、その頃所有者となっていた宇多天皇に一喝されたりした人なんです。源氏にして六条に邸宅を営んだとか、物の怪騒ぎを起こしたとか、何となく源氏物語の骨組みに影響があったことは間違いないのであります。
その六条邸では、夕霧の居所は北東の町に住むことになった花散里のもとに設営されまして、彼は光源氏の妻妾としては目立たない花散里を母代わりにするよう求められるのであります。美人じゃないけど控え目で優しい花散里を見まして、彼はおっとりした雲居雁への思いをつなぎ続けるというふうに展開いたします。六条邸の完成は、光源氏35歳、夕霧14歳のときのことだと思います。
読んだ印象を適当に語っているのでありまして、本文とずれていても責任は持ちません。あしからず。
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