瀬戸内寂聴『源氏物語』を読む(101) 而して風の力蓋し寡し(3) update ver.

さてさて、『源氏物語』の第21帖「乙女」の巻の嵐の前の静けさというものはいかなるものなのか。


光源氏はかつての親友である頭の中将に対して、随分いろんな秘密を持っております。つまり、光源氏はいろいろとやらかしていて、頭の中将の知らない重大事が結構あるわけです。たとえば夕顔を光源氏が死なせているというのは、まったくもって内緒であります。さらに、光源氏が藤壺と密通して、二人の間に冷泉帝という息子までいるというのも、頭の中将は知らないはずなのです。よって、冷泉帝の後宮政策において、藤壺・光源氏連合が推奨する前斎宮の入内が成功し、さらに中宮冊立に及ぶ一連の出来事の真意が、かつての頭の中将、今の内大臣にはまったく見えてこないのかも知れません。


内大臣の北の方というのは、例の弘徽殿の女御の妹でありまして、その北の方の生んだ娘が冷泉帝に入内しまして、これが第2シーズン辺りの弘徽殿の女御なのであります。後宮の建物名である弘徽殿ですから、住んでいる人が入れ替わるのは当然です。第2シーズンというのは、第11帖「花散里」の巻から、第20帖「朝顔」の巻に至る10巻に付けた私の勝手なレッテルであります。第21帖「乙女」の巻からは雰囲気が変わりましたので、これを第3シーズンと考えていいと思います。第3シーズンの冒頭、太政大臣となった光源氏から政治の実権を譲られた内大臣は、肩を並べる者もいないような勢いでありますけれども、しかしその心中は深く傷つきまして、母の大宮の所で慰められているのであります。


そこでクローズアップされるのは、北の方の娘ではないもう一人の娘の存在でありまして、そうか「わしにはもう一人娘がいたではないか」となるのであります。読者としては「ええ? そんな子供の話ありましたっけ?」と虚を突かれてしまいます。要するに北の方に迫害されて夕顔が下町に姿を隠していたように、北の方に耐えかねて離婚したもう一人の妻が内大臣にはかつていたということなのでありましょう。その妻はとうに再婚を果たし、生んだ娘は内大臣の側に残されたので、それを大宮に預けていたという話なのであります。


第3シーズンになって登場する雲居の雁は、紫の上のクローンでもありますね。クローンだらけ。


記憶が間違っていなければ、葵の上というのは光源氏より4歳年長の「姉さん女房」でありますけれども、この俗語が意味する世話女房とは違って、ちっとも打ち解けない奥様でありました。その葵の上の兄上が頭の中将、すなわち第21帖「乙女」あたりの内大臣でありまして、年齢は不詳でありますが、少なくとも光源氏よりは5歳以上年長の人物なのであります。今、光源氏は33歳ですから、内大臣の年齢は38歳以上なんであります、それが祖母の大宮と琴を弾きながら、14歳の雲居雁という娘にも琴を弾かせ、しげしげその容姿を眺めているというのが、これがまあ嵐の前の静けさなのであります。


仮に、まあ仮にですが、内大臣の年齢を38歳とするなら、この娘は内大臣が桐壺帝の蔵人の頭を務めて、「頭の中将」と呼ばれていた25歳の頃に生まれたということになります。その前年あたりに、頭の中将は雲居雁の母と夫婦の契りを結んでいたわけですが、それは『源氏物語』の本編には出て来ないのであります。その後離婚が成立してよそに嫁したとありますから、相当のどたばたがあったはずでありますけれども、その頃は、20歳の光源氏の方も紫の上を引き取って、その一方で藤壺と密通したり、末摘花を口説いたりとやりたい放題の頃であります。


実際の人生でも、親友だって言ったところで、お互いに知らないことはあまたあるのは当然であります。彼らは物語の登場人物ですから、原作者の創作ノートがあればいろんなアイデアの断片が、それぞれの年譜のところに書き留めてあったのかも知れません。かく言う私は色恋沙汰には縁のない方でありますが、しかし20歳から24歳となれば、口説き口説かれ、もてたりもてはやしたり、記憶は「思い出の宝石箱やあ」と叫びたくなるわけであります。『源氏物語』はそのあたりを削ぎ落として、後半を目指しております。


「内大臣は、落葉、微風を俟ちて隕つ、而して風の力、蓋し寡なし、と古詩を朗詠なさって……」  

    らくよう、びふうをまちておつ、しかしてかぜのちから、けだしすくなし

    (『文選』巻46巻頭)


内大臣にしてみると別れた妻の置き土産が、大宮の元でそれなりに成長し、これは後宮政策に使える駒だとしげしげ眺めているんであります。『文選』などという作品は私などの手に負えるものではありませんから、小学館の新日本古典文学全集という注釈書の漢籍引用一覧を見るんですが、この一節は内大臣の謙遜の言葉であります。「木の葉は秋になって自ら落ちるのであって、風の力ではない。今琴を弾いて哀感がつのっているが、これは秋の情感であって我が輩の琴の演奏のせいではない」というような意味なのであります。内大臣が政権を担う実力者である上に、音楽にすぐれ、漢詩を自家薬籠中のものとし、驕りとは無縁で、母を大切にし、自分から離れた女性の娘をいとしく思う、妹の忘れ形見である夕霧のことも疎かには思っていないという、まあ、人間としてパーフェクトな場面が出て来るのであります。出て来るのでありますが、それが巻のはじめの方であり、さらに第3シーズンの冒頭であると考えたら、これからどうなるのか目に見えるではありませんか。わくわく致しますね。


要するに、母の大宮をののしり、娘には罵声を浴びせ、夕霧には悪口雑言を吐く、そういうことです。

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