自分の人生を振り返って失敗したと思った瞬間ベスト3 その2

 人間は煩悩から逃げられないというのは、仏教の教えでありますが、煩悩が振り払えるかと言うと、そう簡単ではないのであります。ただし、相当たくさんの経験をし、毎日毎日あまたの感情を抱いているのですが、実はすっかり忘れていることも多いわけでありまして、忘れたことはどこに行ってしまったのか、消えたのか、それともどこかに埋蔵されているのか、そのあたりは謎でありましょう。人は都合の良いように記憶を改変して生きているわけで、改変するの当たっては、複数の記憶をねじ合わせて一つにしたり、一つの記憶を分解して覚えていたり、などということがありそうです。さて、これから書くことは果たして、実際の記憶通りなのか。それとも、何らかの改変によって歪んでいるのか、実は確かめようもないのであります。


   失敗したと思った瞬間 第二位


小学校を卒業してずいぶん時間が経ちました。通っていた頃は木造の校舎でありまして、校庭の周囲に「コ」の字型に教室が配置されていて、たくさんの教室がありました。団塊世代のために教室数が膨れた後、ちょっと一学年の人数が減った頃でありましたから、空き教室があったような気がいたします。一年生と二年生の教室は校庭の南側、三年生から六年生が校庭の北側に配置されていて、南北を繋ぐ通路は西側、校庭の東側は道路というような、おそらくよくある配置だったはずです。西側の通路のところに理科室と給食室がありましたが、たぶん理科室が大昔の創立時の教室の名残で、床が高く、まるでお寺の本堂のような作りだったと記憶しています。その理科室の前の校庭に、薪を背負って本を読みながら歩いている二宮尊徳の銅像がそびえていたものです。かつての日本の学校の校庭に、今ならイーロン・マスク氏の銅像があるようなものですから、奇妙と言えば言えそうなのであります。


   50年前の日本の状況


高度経済成長の後半に小学校生活をしていたのだと思うのですが、入学していた時と、6年後に卒業する時の世の中が、驚くほど変化していたと思います。我が家で言うと白黒テレビがカラーテレビになり、洗濯機は二層式になって手絞りがなくなり、冷蔵庫が台所に鎮座して真夏に氷でジュースが飲めるようになりました。テレビで宣伝するスナック菓子がお店に並ぶようになり、コカ・コーラとペプシコーラが普通に飲めるようになり、インスタントコーヒーを普通に飲むようになったのです。さらに、練炭ごたつはそのままで、灯油ストーブが姿を現し、テープレコーダーで歌番組を録音する翌年くらいには、ポータブルのステレオがやって来て、まもなく本格的なステレオが兄弟の部屋に据え付けられたりいたしました。田植えと稲刈りは機械化され、農薬をまくので子供は農作業を手伝わなくてよくなってしまいました。6年生の頃には今と同じような生活をしていたということになるのです。オイルショックでちまたからトイレットペーパーが無くなりましたが、我が家の「便所紙」が粗悪品になったのを覚えています。これだけ変化したら、学校だって何かあるわけで、ただ人々の気分はまだ貧乏な日本のままだったはずであります。


   小学校に体育館とプールが建設されるという展開


小さい頃、上の兄弟が学芸会をするというので、その小学校に連れていかれた記憶がかすかにあります。たぶん、一年生の教室がぶち抜きになって、そこに舞台が設置され、床にみんなが座って見物するというようなことでした。暗幕を張り巡らして、照明を使って舞台をライトアップしたりしていたのであります。つまり、体育館はなかったわけで、真冬の体育は教室でマット運動をしていたのです。六年生になる頃に校舎の南側の田んぼが体育館の敷地となり、建設が始まりました。年末には出来上がってお披露目があり、さっそく学芸会というような運びであります。掃除を言いつかって掃き掃除のために舞台の下に下りると地下室になっていまして、まだ何も運び込まれずにがらんとしていたものです。さて、何日かして学芸会の練習に体育館に出向きまして、舞台袖のあたりにうろうろしていた時に事件は起きました。


   ずどんと落ちた緞帳(どんちょう)、いやはや


同級生はみんなはしゃいでいました。体育館なんてろくに見たこともないものでありまして、その巨大な空間は何をしてもいいというような雰囲気を醸していたのであります。だから、走り回れるだけ走り回り、叫ぶやら、歌うやら。舞台に登ったり、地下への階段を降りたり登ったりしていたわけで、その中で私はふとレバーがある事に気が付いたのであります。なんだなんだというような気持でレバーに手を掛けた瞬間に、舞台に緞帳がどすんと落ちたのであります。ゆっくりではなく、不穏な音を立てて、一瞬にして舞台が消えたのであります。うわあ、おいらのせいだよこれは。もはやレバーはまったく動かず、どうにも復旧できない感じだったのであります。そのあと、コの字型の一年生の教室の方から、六年生の教室の下にある職員室への廊下の長く感じたこと。先生に事情を説明して詫びに詫びたのだろうと思うのですが、廊下の記憶の後は残っていないのであります。泣いたのかもしれませんが、そういう記憶もまったくないのであります。

 

   学芸会の時にはちゃんと緞帳は動いていたよ。

コメント

このブログの人気の投稿

岩波文庫『百人一首』を読む(81) 藤原実定

岩波文庫『百人一首』を読む(99) 後鳥羽院

足利将軍撰『新百人一首』を読む(6) 藤原菅根