金銭のトラブルとか、業者との揉め事とか、の思い出 その4

遠い記憶の中に、離れ小島のようにぽかんと浮かんでいる記憶というのは、おそらくたくさんあるんですが、何かの折にそれを思い出して、喜怒哀楽の感情まではゆかないような波が心に立つことがあります。小学生高学年くらいの時に、バスに乗って町へ行く用事があって、ついでだからと家族からお使いを頼まれました。8歳上の姉の洋服をクリーニング屋から引き取って来てほしいというような話であります。繁華街の一番いいところに、そのころ出来立ての建物がありまして、道路を挟んで靴屋、洋菓子屋、レコード屋などの新しい店舗が軒を連ね、道路の上に屋根をかけたもので、今でいえば小さなモールとでも言うのでありましょう。姉の一張羅を家で洗濯するのは心配なので、ひとつ新しくできたクリーニング屋に頼んでみたというようなことだったと思います。農村部に住む家族がすこし背伸びをして、まちの商店を利用してみたというようなことです。


  現在からみたらただのクリーニング屋で、狭い店舗。


入ってゆくと、店主たちが顔を見合わせて相談しまして、出来上がりを取りに来た私に対して、洗濯物はアイロンか何かを失敗してしまったので、お代は返すというような感じで、お札をつかまされて帰されたのであります。どんなものをクリーニングに頼んだかも知らないお使いの子どもですから、腑に落ちないまま家に帰り家族に話しましたけれども、家族だって隔靴掻痒、事態が呑み込めないような感じでありまして、そのあとどう落とし前がついたのか知らないのであります。洗濯物を出した人が取りに行けばよかったのに、子供をお使いにしたために、話がもつれるのは当然といえば当然であります。二度と利用しなかったことでしょう。町の目抜き通りでしたから、高校生になったころには店の前をよく通ったはずですが、トラブルの件はちらりと頭をかすめはするものの、そのことを後に家族と話したこともありません。


  その店舗のあたりはすでに道路拡幅で跡形もない。


地方の商店街はシャッター商店街と揶揄されたまま30年くらい寂れた姿をさらし、今は再開発などで消滅しつつあるようです。どうやら第二次大戦後の高度経済成長のころに、資本のない人々が小売店を元手もないような状態で始めたものらしく、やがてアーケード街になったりしたものの、デパートやスーパーに客を奪われ、駐車場付きの郊外型大規模店舗にとどめを刺されたということであります。私が子供のころに見た商店街は、急速に商店が立ち並び好景気に沸いた、もっとも商店街が賑やかだったころのもので、その繁栄は長くて20年、うっかりすると5年くらいだったのかもしれないのであります。昭和30年から昭和50年、西暦でいうと1955年から1975年くらいまで、あとは下り坂で、代替わりもままならない商店が多かったということかもしれません。


  商店街の盛衰はウィキペディアにも記述があります。


友人の一人は、田舎の町のデパートとデパートの間にあるおもちゃ屋のひとり息子でした。私が小学生の時には、街に出ると覗きに行くおもちゃ屋の一軒でしたが、高校生になって友人として付き合うようになったときは、客はデパートでおもちゃを買うようになっていて、道路に面したガラス戸のところに並べたおもちゃは、日差しに色褪せていて、何年も売れていないのは明らかだったのです。友人は町を出て、おもちゃ屋はすでに廃業して久しいのであります。


  ほしいおもちゃはあの友人の家の商品棚にはなかったな。


コメント

このブログの人気の投稿

岩波文庫『百人一首』を読む(81) 藤原実定

岩波文庫『百人一首』を読む(99) 後鳥羽院

足利将軍撰『新百人一首』を読む(6) 藤原菅根