金銭のトラブルとか、業者との揉め事とか、の思い出 その3

お彼岸もとうに過ぎましたので、夏が終わり秋の気配が濃厚になる頃でありますが、台風が去った後にしばらくの好天気が続いているという状況です。南の海上を東に向かう台風があるようですが、日本列島には影響しないのでありましょう。今住んでいるところは田園地帯で、車で5分も行けば黄金色の稲穂が一面に輝いているのでありますけれど、所どころは台風の大風でなぎ倒されて半分青いという気の毒な様子ですが、半分は稲刈りが済み、半分はこれからコンバインが入るのでありましょう。土曜日ですが作業する人の姿も少なく、誰がいつ稲を刈っているのかわからないのであります。


  農家の納屋には農作業機械がごろごろしているはず。


昭和30年代に農地の近代化があって、ブルトーザーで田んぼを均しまして、大きな平行四辺形に作り直したことがありました。おそらく日本中で試して、よっぽど傾斜のある土地以外は、入り組んだ所有権を整理し、機械が入れるようにしたのであります。地域によっては、あぜ道すらもったいないというので、学校の校庭くらいの広さにしてしまったものだってあるはずで、里山の棚田などというものは、見捨てられた土地の風景なのであります。そこに農協経由でトラクターやら耕運機が持ち込まれて、田植えや稲刈りは家族総出の集団作業から、一人で黙々と作業するものに転換したことでしょう。記憶をたどると何となくそういうことです。だから、田植えや稲刈りの経験のある人は、集団就職して結婚するころには、田舎に手伝いに行く必要はなくなったはずなのです。お前は戻ってこなくていいよ、と。


  さて、記憶の底をさぐって金銭トラブル未満の話を見つけました。


昔の職場での話であります。まだお子さんが小学校の低学年くらいの、働き盛りの同僚が亡くなりまして、母一人子ひとりになったという話です。今でいう非正規社員でありまして、ただし日本の最高峰の学府を出た方でありまして、何もなければ末は博士か大臣かというような学歴の人でした。話をしたのは一度か二度、鉄道の周遊券が手元にあってまだ何日か使えるので、よかったらと渡したことがある、というような、知り合い程度の存在でありました。正規の社員が中心になって、助けてあげよう、子供の奨学金を作ろうというような流れになりまして、あなたも一口出しませんか、と依頼されたわけです。


  私も非正規だったが、はたと考え込んでしまった。


最終的には、一口二万円くらいを指定の口座に振り込んだような気はするのでありますが、さてその後奨学金がどのように使われたのか、お子様はどうなったのか、一切の報告に接することもなく、ましてや表立って疑うようなこともいたしませんでした。でもね、同僚がお金を集めて奨学金というのは表向きは美談でありますが、よく考えると非常におかしい。亡くなった人とその家族にも、親類縁者や知人はいっぱいいるだろうし、助ける方策は尋常なものがいくらでもあったはずなのであります。私自身はその人の人柄も知らないし、酒席で向かい合ったこともなく、妻や子の顔も知らなかったのであります。お葬式すら案内されてもいなかったというような間柄。それで奨学金に一口と言われて、疑問を抱かないはずはないのであります。


  30年が過ぎた今、邪推するとこんなことかな。


亡くなった人は、事情があって出世コースから外れた人であります。その事情すら私は耳にしていないのであります。ただ、風俗通いをしていたなんてことがささやかれておりました。同僚に借金をして亡くなってしまい、同僚たちが奥さんに返せて迫ったとして、じゃあ奨学金という名目でお金を集まますから、その口座をあなた名義にしておきます。そこから30万、50万、100万返してくださいね、というような話だったら、いろいろ辻褄が合うような気がいたします。同僚の差し出した奨学金ですくすくと育ち、大学を卒業し、社会人になった若者はたぶん存在しないことでしょう。そういえばあの職場には、周囲から寸借詐欺を働いて姿を消した人もいたっけ。その人はなんとなく私にまとわりついてきて、一緒に酒を飲んだことが一度あったのであります。まったく別の人の話ではありますが、思い出すと気になることがいくつも数珠繋ぎ。

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