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自分の人生を振り返って失敗したと思った瞬間ベスト3 その1

長く生きていると、喜怒哀楽の感情に揺れることは当たり前でありまして、老人になった今でも目を覚ました瞬間から、つまらない感情がふつふつと沸くわけです。もちろん寝ている時だって穏やかな心情ではないわけで、はらはらどきどき、わくわくうきうき、どうしてそこまで心が動くのか、さっぱりわからないわけです。そのなかでも、陥った事態に気が付きまして、「ああ、やっちまったなあ」と自分のしくじりを悔む瞬間というのがあるわけで、今思い付く我が人生のしくじりを、少々記してみようと思うのであります。書くことで、ときどきファラッシュバックする感情から逃れられるのかどうか。それとも、つらい過去を再び補強して悔むのか、書いて見てのお楽しみであります。     失敗したと思った瞬間 第三位 幼稚園時代のことです。幼稚園と言っても、正確には教会の幼児教室に通園していた時のことでありまして、その幼児教室は今は幼稚園となって故郷に存続しているのであります。その教会に外国人の先生が来るという噂があって、本当に来るらしいと確認した母が、私をその幼児教室に通わせたのであります。熊が出るような山奥に教会がありまして、そこが二年くらいの幼児教育を始めたということで、私は今なら年長さんに当たる年齢で一年だけ通ったのであります。我が家の裏にバス停がありまして、当時は交通量も少ないので、バスの立てる地響きを耳にしてからバス停に行っても間に合うような、子供には恵まれた通園だったのであります。四月にはたった一人でバスに乗り、20分ほど揺られてバス停を降りると、そこから100メートルくらい坂を下って幼稚園に到着であります。同級生は10人くらい、すぐに溶け込んで幼稚園の園庭の先に秘密基地を作った記憶があります。やがて近所の子供もバス通学に参加しまして、幼馴染と一緒にバスで通園したのです。    10月10日か、もしくは11月3日 季節は秋の稲刈りの時であります。当時はまだ機械化されていないころで、近所の人が協力して、地域の田んぼを刈り取って行くというようなお祭り騒ぎでありました。その日刈り取ってもらう家ではご馳走を用意してお昼を振る舞うのがお約束でありまして、すべて機械化されてしまった今では味わえないような、わくわくした日々なのであります。たとえば、一升瓶に入ったぶどうジュースが子供に振る舞われるのもその時だけで、ペットボトルに...

金銭のトラブルとか、業者との揉め事とか、の思い出 その4

遠い記憶の中に、離れ小島のようにぽかんと浮かんでいる記憶というのは、おそらくたくさんあるんですが、何かの折にそれを思い出して、喜怒哀楽の感情まではゆかないような波が心に立つことがあります。小学生高学年くらいの時に、バスに乗って町へ行く用事があって、ついでだからと家族からお使いを頼まれました。8歳上の姉の洋服をクリーニング屋から引き取って来てほしいというような話であります。繁華街の一番いいところに、そのころ出来立ての建物がありまして、道路を挟んで靴屋、洋菓子屋、レコード屋などの新しい店舗が軒を連ね、道路の上に屋根をかけたもので、今でいえば小さなモールとでも言うのでありましょう。姉の一張羅を家で洗濯するのは心配なので、ひとつ新しくできたクリーニング屋に頼んでみたというようなことだったと思います。農村部に住む家族がすこし背伸びをして、まちの商店を利用してみたというようなことです。   現在からみたらただのクリーニング屋で、狭い店舗。 入ってゆくと、店主たちが顔を見合わせて相談しまして、出来上がりを取りに来た私に対して、洗濯物はアイロンか何かを失敗してしまったので、お代は返すというような感じで、お札をつかまされて帰されたのであります。どんなものをクリーニングに頼んだかも知らないお使いの子どもですから、腑に落ちないまま家に帰り家族に話しましたけれども、家族だって隔靴掻痒、事態が呑み込めないような感じでありまして、そのあとどう落とし前がついたのか知らないのであります。洗濯物を出した人が取りに行けばよかったのに、子供をお使いにしたために、話がもつれるのは当然といえば当然であります。二度と利用しなかったことでしょう。町の目抜き通りでしたから、高校生になったころには店の前をよく通ったはずですが、トラブルの件はちらりと頭をかすめはするものの、そのことを後に家族と話したこともありません。   その店舗のあたりはすでに道路拡幅で跡形もない。 地方の商店街はシャッター商店街と揶揄されたまま30年くらい寂れた姿をさらし、今は再開発などで消滅しつつあるようです。どうやら第二次大戦後の高度経済成長のころに、資本のない人々が小売店を元手もないような状態で始めたものらしく、やがてアーケード街になったりしたものの、デパートやスーパーに客を奪われ、駐車場付きの郊外型大規模店舗にとどめを刺されたということで...

金銭のトラブルとか、業者との揉め事とか、の思い出 その3

お彼岸もとうに過ぎましたので、夏が終わり秋の気配が濃厚になる頃でありますが、台風が去った後にしばらくの好天気が続いているという状況です。南の海上を東に向かう台風があるようですが、日本列島には影響しないのでありましょう。今住んでいるところは田園地帯で、車で5分も行けば黄金色の稲穂が一面に輝いているのでありますけれど、所どころは台風の大風でなぎ倒されて半分青いという気の毒な様子ですが、半分は稲刈りが済み、半分はこれからコンバインが入るのでありましょう。土曜日ですが作業する人の姿も少なく、誰がいつ稲を刈っているのかわからないのであります。   農家の納屋には農作業機械がごろごろしているはず。 昭和30年代に農地の近代化があって、ブルトーザーで田んぼを均しまして、大きな平行四辺形に作り直したことがありました。おそらく日本中で試して、よっぽど傾斜のある土地以外は、入り組んだ所有権を整理し、機械が入れるようにしたのであります。地域によっては、あぜ道すらもったいないというので、学校の校庭くらいの広さにしてしまったものだってあるはずで、里山の棚田などというものは、見捨てられた土地の風景なのであります。そこに農協経由でトラクターやら耕運機が持ち込まれて、田植えや稲刈りは家族総出の集団作業から、一人で黙々と作業するものに転換したことでしょう。記憶をたどると何となくそういうことです。だから、田植えや稲刈りの経験のある人は、集団就職して結婚するころには、田舎に手伝いに行く必要はなくなったはずなのです。お前は戻ってこなくていいよ、と。   さて、記憶の底をさぐって金銭トラブル未満の話を見つけました。 昔の職場での話であります。まだお子さんが小学校の低学年くらいの、働き盛りの同僚が亡くなりまして、母一人子ひとりになったという話です。今でいう非正規社員でありまして、ただし日本の最高峰の学府を出た方でありまして、何もなければ末は博士か大臣かというような学歴の人でした。話をしたのは一度か二度、鉄道の周遊券が手元にあってまだ何日か使えるので、よかったらと渡したことがある、というような、知り合い程度の存在でありました。正規の社員が中心になって、助けてあげよう、子供の奨学金を作ろうというような流れになりまして、あなたも一口出しませんか、と依頼されたわけです。   私も非正規だったが、はたと考え込んでしまっ...